~ホームページをご覧頂いた方~
秋雨前線が停滞してますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
こんな機会に、
一枚の絵を眺めて、心が癒やされれば良いですね。
『 画廊は、敷居は高いが、でも癒やされる 』
そんな画廊が、だいこく画廊です。
是非一度、ご来廊してみて下さい!
満足して頂けます。
こんな時だからこそ、絵を眺めるも良し、話をするも良し、ストレス
解消するも良し、そんな場所にして頂き少しでも明るい気持ちでお過ご
し頂ければと思います。くれぐれも無理をせずご自愛下さい。
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~郷土から巨匠作家の名品を大展示!
『掛軸・日本画・洋画・彫塑大感謝祭』
会期 9月21日(月)~23日(水) 午前10時~午後5時
会場 有限会社だいこく画廊 ギャラリー内
気になる作品・価格の値引きなど、お気軽にお問い合わせ下さい。
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菊池契月「後園閑歩」 絹本 尺五寸 共箱
絵寸法 42.2cm×128.5cm 軸寸法 56.5cm×222.5cm
明治41年(1879)~昭和30年(1955)76歳歿
中野市出身。本名は完爾(旧姓細野)。菊池芳文に師事(婿養子)。
長男・菊池一雄は彫刻家、次男・菊池隆は日本画家。ローマで開催された万国芸術博覧会にも出品。
京都市立絵画専門学校の助教諭。文展の永久無鑑査作家、翌年には絵画専門学校の助教授。絵画専門学校の教授。文展の審査員。
鮮烈な色彩、不気味なまでに生々しい写実的表現、四条派の伝統を墨守するだけでなく、新しい独自の画風を確立。
ヨーロッパへの視察出張に派遣。
フランス、イタリアを中心に訪問、ルネサンス期のフレスコ画や肖像画に深い感銘、古典的作品の偉大さや価値を再認識。
帰国後も仏教美術・大和絵・浮世絵の諸作を研究、収集。
昭和期は均一でクールな線と抑制された控えめな色彩による白描画風が生み出される、作品に二つの系統が認められる。
京都市立絵画専門学校と京都市立美術工芸学校両校の校長。その後、職を退き絵画専門学校専任の教授となる。
帝室技芸員 。帝国芸術院の会員。日本芸術院の会員。
京都市立美術大学の名誉教授。京都市の名誉市民。平等院鳳凰堂の壁画模写の指導。
絶筆は『源氏物語挿図』。

菊池契月「早涼」 紙本 半切 共箱
絵寸法 31.5cm×138.7cm 軸寸法 44.0cm×209.8cm

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児玉果亭 『淡彩法春景山水図』 尺八寸 絹本 箱書き
絵寸法 49.8cm×134.3cm 軸寸法 66.0cm×198.8cm (明治42年)69歳作
天保12年(1841)~大正2年(1913)73歳歿。幼名を丑松。諱は道広、字を士毅。
画号に果亭・果道人・澹々齋・竹遷山房。晩年は果老生・果翁。渋温泉で生まれ育つ。
佐久間象山は習字をみて将来モノになると賞めた。
南画家日根對山の画帖を宝物のように常日頃模写に励んでいた。
15歳になると佐久間雲窓に就いて本格的に画技を学ぶ。
師雲窓は谷文晁の孫弟子で沈南蘋風の花鳥画が得意。
その後、興隆寺に参禅し畔上楳仙より漢学・経学・禅の指導を受ける。
文人としての素養を培うとともに人生の指南役として楳仙を強く慕う。
楳仙の勧めで京都の田能村直入に入門。
帰郷後に明治天皇の天覧に浴し、絵画共進会など中央の展覧会で高い評価を得て画業は順風満帆となる。
画室竹仙山房を結んで画禅三昧に過ごした。
門下には菊池契月・小坂芝田・山本凌亭・青柳琴僊など多くの優れた門人が集まった。
画友に長井雲坪・加藤半渓・寺崎廣業・町田曲江がいる。
音楽を好み友人の長井雲坪より月琴を手に入れ酒宴などで弾じた。
ただし日清戦争が開戦すると戦地の兵士を思い娯楽の楽器を封じた。
また小林一茶を慕い、俳句も嗜んだ。俳号を花庭とした。

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松林桂月「冨士図」 紙本 15号
絵寸法 75.5cm×39.2cm 額寸法 95.7cm×59.2cm
明治9年(1876)~昭和38年(1963) 88歳歿
山口県萩市生まれ。元の姓は伊藤、本名は篤。字は子敬。別号に香外、玉江漁人。妻の松林雪貞も日本画家。
「最後の文人画家」とも評され、渡辺崋山や椿椿山ら崋椿系の流れをくむ精緻で謹直な描写を基礎に、
近代の写生画の流行を十分に取り込みながら、そこに漢籍、漢詩の素養に裏付けされた品格の高い作風。
野口幽谷に師事。南画の表現に新たな世界を開拓、南画界の重鎮と言われる。日本南宗画会を結成。
帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員。
日中文化協会理事、日本美術協会理事、日展運営委員会常任理事、同理事。
文化勲章受章、文化功労者、日展顧問、日本南画院会長。死後従三位勲二等旭日重光章受章。
弟子に白井烟嵓・大平華泉・西野新川などがいる。

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中島千波 「般若院の枝垂れ桜」 20号 リトグラフ 67/200
絵寸法 72.8cm×58.0cm 額寸法 95.3cm×80.8cm
昭和20年(1945)、疎開先の長野県小布施に生まれる。
父は日本画家 中島清之。昭和46年東京芸術大学大学院卒業。
在学中に院展初入選、以後受賞を重ねる。
人間を題材とした「衆生」「形態」などのシリーズのほか、桜をはじめとする花鳥画など多彩な
画題に取り組み、日本画であり続けながら伝統に安住せず、常に新しい時代の表現を求めて独創的
な美の世界を謳い続けている。
現在、東京藝術大学名誉教授。日本美術家連盟常任理事。

中島千波 「京錦椿」 10号 シルクスクリーン 34/200
絵寸法 53.0cm×40.0cm 額寸法 77.5cm×66.0cm

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杉松儀一「八ヶ岳」 12号 岩彩
画寸法 60.6cm×45.6cm 額寸法 78.6cm×63.5cm
昭和30年、東京生まれ。多摩美術大学日本画科卒業。
春の院展初入選。今野忠一に師事。院展入選。日本美術院院友となる。
JR美しき東日本展出品。新しい世代の信州風景展(信濃美術館)。
奈良県立万葉ミュージアム作品収蔵。
現在、日本美術院院友

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足立源一郎『霞む諏訪湖(杖突峠路にて)』5号 油彩
昭和16年5月1日(52歳作)
絵寸法 35.1cm×26.7cm 額寸法 55.3cm×46.2cm
明治22年(1889)~昭和48年(1973) 84歳没。大阪、船場に生まれる。
京都市立絵画工芸専門学校(現京都市立芸術大学)に学び、浅井忠の関西美術院にも通う。
大正時代2度に渡り延べ7年間、パリで画業の基礎を固める。帰国後、日本美術院の同人に推挙。
小杉未醒、岸田劉生、木村壮八らと春陽会を、つづいて石井鶴三、丸山晩霞らと日本山岳協会を創立。
羽仁もと子主催の自由学園の校風に共鳴して教鞭をとり、山本鼎の農民美術運動にも協力。
「ドオミエ」「クロード・モネを訪う」などの翻訳をはじめ「山に描く」「山は屋上より」「山の写生」などの名著も多く、
近代美術紹介の文筆家として先駆的な業績を残し、第一回国民体育大会のポスター、日本山岳会の略章も描く。
近代山岳画の先駆者として知られ、滞欧時代はヨーロッパアルプスを、晩年は一年の大半を北アルプス山中で過ごし、
数々の名作を残す。
その制作態度は現場仕上げ(ダブレナチュール)に徹し、山岳画の神様と慕われている。

足立源一郎『霧ヶ峰(木曽御嶽)』8号 油彩
絵寸法 45.5cm×37.8cm 額寸法 66.8cm×59.1cm

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清水 多嘉示 「コスチュームの娘」 ブロンズ 1930年(33歳作)
明治30年(1897)~昭和56年(1981) 84歳没。原村出身。
1915年旧制諏訪中学中退、若くして画才を発揮、当初は画家を志し、風景や人物を重厚な色彩とタッチで描く。
二科展に入選、渡仏するまで毎回入選。
23年絵画を学ぶためパリに渡り、「サロン・デ・テュイルリー」でオーギュスト・ロダンの高弟、アントワーヌ
・ブールデルの作品と出会い感銘を受け、彫刻家を志した。
E・ブールデルに師事。サロン・ドートンヌへ絵画、彫刻を出品、27年まで毎回入選。
アルベルト・ジャコメッティ、藤田嗣治、イサム・ノグチ、小山敬三らと交遊。28年帰国、29年帝国美術学校助教授。
ブロンズ彫刻で、院展、国画会の国展、春陽会展、サンパウロ・ビエンナーレ国際現代美術展などに出品。43年新文展審査員。
生命感にあふれるブロンズ像で高い評価、戦後は日展に出品、48年武蔵野美術学校教授、日展
審査員、50年日展運営会参事、
53年芸術選奨文部大臣賞受賞、54年「青年像」で日本芸術院賞、58年日展評議員、65年日本芸術院会員、日展理事、
69年には武蔵野美術学園初代学園長に就任、勲三等瑞宝章受章、日展常務理事、71年東京国立近代美術館評議員、73年日展顧問、
80年には文化功労者。
高さ 29.0cm(台座 3.0cm)

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中川紀元 『穂高連峰夕陽』 8号 油彩
絵寸法 45.4cm×37.9cm 額寸法 63.0cm×55.1cm 1969年(78歳作)
明治25年(1892)~昭和47年(1972) 81歳没。
辰野町生まれ。本名は紀元次。
東京美術学校彫塑科。石井柏亭、正宗得三郎、マチスに師事。
二紀会結成。第一回長野県展審査員。日本芸術院恩賜賞受賞。
辰野町名誉町民。
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鈴木マサハル 『FIRENZE』 4号 油彩
絵寸法 33.3cm×24.0cm 額寸法 52.9cm×43.9cm
昭和20年(1945)~平成30年(2018) 73歳歿。
横浜に生まれる。武蔵野美術大学入学。安井賞展出品。パリ美術学校留学。
サロン・ドートンヌ展出品。デ・ボザール展ボザール賞受賞。ル・サロン展出品。
I・M・A国際現代美術家協会大賞。同協会林武賞受賞。神奈川県展文部大臣賞受賞。
杜人会展出品(東京セントラル美術館)。国際芸術文化賞受賞。

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中村董斉(七十郎) 『蝦蟇仙人』 木彫 大正7年(1918)39歳作
高さ 48.5cm 幅 21.0cm
明治12年(1879)~昭和36年(1961) 84歳没
上伊那郡朝日村(現辰野町)に生れる。本名は七十郎。
祖父清之丞に立川流の建築・彫刻を学ぶ。中村七十の父。
祖父とともに数多くの建物を建て、自らも棟梁として腕を振るう。木彫を井出嘉仙に学んでからは、木彫に専念。
欄間や衝立の浮彫りにも優れた作品が多い。
『蝦蟇仙人』
中国の仙人。青蛙神を従えて妖術を使うとされる。
左慈に仙術を教わった三国時代の呉の葛玄、もしくは呂洞賓に仙術を教わった五代十国時代後梁の劉海蟾をモデル。
特に後者は日本でも画題として有名であり、顔輝『蝦蟇鉄拐図』の影響で李鉄拐(鉄拐仙人)と対の形で描かれる事が多い。
しかし、両者を一緒に描く典拠は明らかでなく、李鉄拐は八仙に選ばれているが、蝦蟇仙人は八仙に選ばれておらず、中国ではマイナーな仙人である。
一方、日本において蝦蟇仙人は仙人の中でも特に人気があり、絵画、装飾品、歌舞伎・浄瑠璃など様々な形で多くの人々に描かれている。

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滝沢具幸 『 原 野 』 40号 岩彩
絵寸法 100.0cm×80.3cm 額寸法 123.0cm×103.0cm
昭和16年(1941) 飯田市生まれ。
東京芸術大学大学院修了。
第23回新制作協会日本画部新作家賞。
第1回創画展創画会賞。
第1回東京春季創画展春季展賞。
第3回東京春季創画展春季展賞。創画会会員。
第17回MOA美術館岡田茂吉賞。
第8回山種美術館賞展優秀賞。
飯田美術博物館館長歴任。武蔵美教授。

滝沢具幸 『水のある風景』 15号 岩彩
絵寸法 65.2cm×53.2cm 額寸法 80.7cm×68.4cm

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平岩洋彦
昭和19年(1944) 飯田市生まれ。
東京藝術大学大学院を修了後、法隆寺金堂壁画の再現模写に従事しその後、創画展や新制作展などに出品を続ける。
昭和53年には文化庁派遣芸術家在外研修員としてイタリア・フィレンツェに滞在し、西洋美術の影響を受けました。
彼の作品は、四季折々の自然を繊細な筆致で描き、詩情豊かな風景画が特徴です。
平岩洋彦 『 秋 装 』 3号 岩彩
絵寸法 21.8cm×27.0cm 額寸法 42.7cm×47.7cm

平岩洋彦 『望残雪』 3号 岩彩
絵寸法 30.1cm×17.0cm 額寸法 49.4cm×36.3cm

平岩洋彦 『山麓彩雪』 10号 岩彩
絵寸法 41.0cm×53.1cm 額寸法 62.5cm×74.8cm

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村山径 『富士』 10号 岩彩
絵寸法 53.0cm×41.0cm 額寸法 72.2cm×60.0cm
大正6年(1917)~昭和62年(1987) 70歳没。
新潟県柏崎市北条荒町に農家の長男として生まれる。尾竹国観に師事。
川端画学校の日本画科へ進み、のちに太平洋画学校。
新文展に出品した「子等」が初入選。従軍画家として南方戦線に敗戦まで応召。
伊東深水、児玉希望と共に日月社を結成。
児玉希望に師事。日展会員・日展評議員。内閣総理大臣賞。日本芸術院賞および恩賜賞。
日展理事に就任。

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真道 茂
昭和12年(1937)~平成30年(2018) 81歳没
上田市に生まれ。石井鶴三のもと東京藝術大学で彫刻を学び、卒業制作の《飢え》は文部省買上となり、学部を首席で卒業、同大大学院修士課程を修了。
昭和45年のリンダブルン国際彫刻シンポジウムをはじめ、海外での彫刻シンポジウムへ積極的に参加し、国内外で活躍。
また、彫刻作品の制作と合わせて絵画作品の制作にも意欲を注ぎ、平成2年には東京セントラルアネックスにて絵画作品のみの個展も開催。
晩年は諏訪市に居を移し、アトリエで多くの作品を制作。
真道 茂 「 女 性 」 レリーフ

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池上秀畝作品
明治7年(1874)~昭和19年(1944)70歳歿
伊那市高遠に紙商兼小間物屋の次男として生れる。本名は國三郎。
祖父池上休柳は、高遠藩・御用絵師に狩野派を学び、慶応2年には自らの画論『松柳問答』を刊行。
父池上秀華も、岡本豊彦から四条派を学び、祖父と同様、俳句や短歌を詠み、茶道や華道に凝る。
秀畝が口述筆記させた自伝では、生まれた時からこのような環境だったので、絵の描き方を自然に覚えたと語っている。
明治21年頃には、自ら「國山」の号を用いる。明治22年、15歳で小学校を卒業後、父と共に上京。
瀧和亭、川辺御楯を訪ねるが父は気に入らず、当時無名だった荒木寛畝の最初の門人・内弟子となり文人画を学ぶ。
一時は洋画も研究する。明治39年、同じ門下生の大岡豊子(緑畝)と結婚。
明治40年正派同志会第1回展で二等銀牌、翌年の文展で初入選。
3年連続で文展特選。大正8年、帝展で無鑑査。昭和8年、帝展審査員。伝神洞画塾を主宰し後進の指導に尽力。
晩年になっても力作を次々と発表。
昭和25年、伊那公園に、池上家三代の絵師を顕彰する『画人三代碑』が建てられた。
池上秀畝 『図』 半切 紙本
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中島章光(陵堂) 『桜花美人図』 縦額 絹本
慶応元年(1865)~昭和21年(1946) 82歳歿
静岡県生まれ。別号は陵堂。
京絵専で共に学んだ華岳・麦僊らと国画創作協会を設立し活躍。
伊那や高島小学校などで教師。
作品は東京・大阪に多く所蔵。
中島章光 『釈迦出山図』 尺五寸 絹本
秋雨前線が停滞してますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
こんな機会に、
一枚の絵を眺めて、心が癒やされれば良いですね。
『 画廊は、敷居は高いが、でも癒やされる 』
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こんな時だからこそ、絵を眺めるも良し、話をするも良し、ストレス
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『掛軸・日本画・洋画・彫塑大感謝祭』
会期 9月21日(月)~23日(水) 午前10時~午後5時
会場 有限会社だいこく画廊 ギャラリー内
気になる作品・価格の値引きなど、お気軽にお問い合わせ下さい。
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菊池契月「後園閑歩」 絹本 尺五寸 共箱
絵寸法 42.2cm×128.5cm 軸寸法 56.5cm×222.5cm
明治41年(1879)~昭和30年(1955)76歳歿
中野市出身。本名は完爾(旧姓細野)。菊池芳文に師事(婿養子)。
長男・菊池一雄は彫刻家、次男・菊池隆は日本画家。ローマで開催された万国芸術博覧会にも出品。
京都市立絵画専門学校の助教諭。文展の永久無鑑査作家、翌年には絵画専門学校の助教授。絵画専門学校の教授。文展の審査員。
鮮烈な色彩、不気味なまでに生々しい写実的表現、四条派の伝統を墨守するだけでなく、新しい独自の画風を確立。
ヨーロッパへの視察出張に派遣。
フランス、イタリアを中心に訪問、ルネサンス期のフレスコ画や肖像画に深い感銘、古典的作品の偉大さや価値を再認識。
帰国後も仏教美術・大和絵・浮世絵の諸作を研究、収集。
昭和期は均一でクールな線と抑制された控えめな色彩による白描画風が生み出される、作品に二つの系統が認められる。
京都市立絵画専門学校と京都市立美術工芸学校両校の校長。その後、職を退き絵画専門学校専任の教授となる。
帝室技芸員 。帝国芸術院の会員。日本芸術院の会員。
京都市立美術大学の名誉教授。京都市の名誉市民。平等院鳳凰堂の壁画模写の指導。
絶筆は『源氏物語挿図』。
菊池契月「早涼」 紙本 半切 共箱
絵寸法 31.5cm×138.7cm 軸寸法 44.0cm×209.8cm
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児玉果亭 『淡彩法春景山水図』 尺八寸 絹本 箱書き
絵寸法 49.8cm×134.3cm 軸寸法 66.0cm×198.8cm (明治42年)69歳作
天保12年(1841)~大正2年(1913)73歳歿。幼名を丑松。諱は道広、字を士毅。
画号に果亭・果道人・澹々齋・竹遷山房。晩年は果老生・果翁。渋温泉で生まれ育つ。
佐久間象山は習字をみて将来モノになると賞めた。
南画家日根對山の画帖を宝物のように常日頃模写に励んでいた。
15歳になると佐久間雲窓に就いて本格的に画技を学ぶ。
師雲窓は谷文晁の孫弟子で沈南蘋風の花鳥画が得意。
その後、興隆寺に参禅し畔上楳仙より漢学・経学・禅の指導を受ける。
文人としての素養を培うとともに人生の指南役として楳仙を強く慕う。
楳仙の勧めで京都の田能村直入に入門。
帰郷後に明治天皇の天覧に浴し、絵画共進会など中央の展覧会で高い評価を得て画業は順風満帆となる。
画室竹仙山房を結んで画禅三昧に過ごした。
門下には菊池契月・小坂芝田・山本凌亭・青柳琴僊など多くの優れた門人が集まった。
画友に長井雲坪・加藤半渓・寺崎廣業・町田曲江がいる。
音楽を好み友人の長井雲坪より月琴を手に入れ酒宴などで弾じた。
ただし日清戦争が開戦すると戦地の兵士を思い娯楽の楽器を封じた。
また小林一茶を慕い、俳句も嗜んだ。俳号を花庭とした。
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松林桂月「冨士図」 紙本 15号
絵寸法 75.5cm×39.2cm 額寸法 95.7cm×59.2cm
明治9年(1876)~昭和38年(1963) 88歳歿
山口県萩市生まれ。元の姓は伊藤、本名は篤。字は子敬。別号に香外、玉江漁人。妻の松林雪貞も日本画家。
「最後の文人画家」とも評され、渡辺崋山や椿椿山ら崋椿系の流れをくむ精緻で謹直な描写を基礎に、
近代の写生画の流行を十分に取り込みながら、そこに漢籍、漢詩の素養に裏付けされた品格の高い作風。
野口幽谷に師事。南画の表現に新たな世界を開拓、南画界の重鎮と言われる。日本南宗画会を結成。
帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員。
日中文化協会理事、日本美術協会理事、日展運営委員会常任理事、同理事。
文化勲章受章、文化功労者、日展顧問、日本南画院会長。死後従三位勲二等旭日重光章受章。
弟子に白井烟嵓・大平華泉・西野新川などがいる。
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中島千波 「般若院の枝垂れ桜」 20号 リトグラフ 67/200
絵寸法 72.8cm×58.0cm 額寸法 95.3cm×80.8cm
昭和20年(1945)、疎開先の長野県小布施に生まれる。
父は日本画家 中島清之。昭和46年東京芸術大学大学院卒業。
在学中に院展初入選、以後受賞を重ねる。
人間を題材とした「衆生」「形態」などのシリーズのほか、桜をはじめとする花鳥画など多彩な
画題に取り組み、日本画であり続けながら伝統に安住せず、常に新しい時代の表現を求めて独創的
な美の世界を謳い続けている。
現在、東京藝術大学名誉教授。日本美術家連盟常任理事。
中島千波 「京錦椿」 10号 シルクスクリーン 34/200
絵寸法 53.0cm×40.0cm 額寸法 77.5cm×66.0cm
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杉松儀一「八ヶ岳」 12号 岩彩
画寸法 60.6cm×45.6cm 額寸法 78.6cm×63.5cm
昭和30年、東京生まれ。多摩美術大学日本画科卒業。
春の院展初入選。今野忠一に師事。院展入選。日本美術院院友となる。
JR美しき東日本展出品。新しい世代の信州風景展(信濃美術館)。
奈良県立万葉ミュージアム作品収蔵。
現在、日本美術院院友
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足立源一郎『霞む諏訪湖(杖突峠路にて)』5号 油彩
昭和16年5月1日(52歳作)
絵寸法 35.1cm×26.7cm 額寸法 55.3cm×46.2cm
明治22年(1889)~昭和48年(1973) 84歳没。大阪、船場に生まれる。
京都市立絵画工芸専門学校(現京都市立芸術大学)に学び、浅井忠の関西美術院にも通う。
大正時代2度に渡り延べ7年間、パリで画業の基礎を固める。帰国後、日本美術院の同人に推挙。
小杉未醒、岸田劉生、木村壮八らと春陽会を、つづいて石井鶴三、丸山晩霞らと日本山岳協会を創立。
羽仁もと子主催の自由学園の校風に共鳴して教鞭をとり、山本鼎の農民美術運動にも協力。
「ドオミエ」「クロード・モネを訪う」などの翻訳をはじめ「山に描く」「山は屋上より」「山の写生」などの名著も多く、
近代美術紹介の文筆家として先駆的な業績を残し、第一回国民体育大会のポスター、日本山岳会の略章も描く。
近代山岳画の先駆者として知られ、滞欧時代はヨーロッパアルプスを、晩年は一年の大半を北アルプス山中で過ごし、
数々の名作を残す。
その制作態度は現場仕上げ(ダブレナチュール)に徹し、山岳画の神様と慕われている。
足立源一郎『霧ヶ峰(木曽御嶽)』8号 油彩
絵寸法 45.5cm×37.8cm 額寸法 66.8cm×59.1cm
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清水 多嘉示 「コスチュームの娘」 ブロンズ 1930年(33歳作)
明治30年(1897)~昭和56年(1981) 84歳没。原村出身。
1915年旧制諏訪中学中退、若くして画才を発揮、当初は画家を志し、風景や人物を重厚な色彩とタッチで描く。
二科展に入選、渡仏するまで毎回入選。
23年絵画を学ぶためパリに渡り、「サロン・デ・テュイルリー」でオーギュスト・ロダンの高弟、アントワーヌ
・ブールデルの作品と出会い感銘を受け、彫刻家を志した。
E・ブールデルに師事。サロン・ドートンヌへ絵画、彫刻を出品、27年まで毎回入選。
アルベルト・ジャコメッティ、藤田嗣治、イサム・ノグチ、小山敬三らと交遊。28年帰国、29年帝国美術学校助教授。
ブロンズ彫刻で、院展、国画会の国展、春陽会展、サンパウロ・ビエンナーレ国際現代美術展などに出品。43年新文展審査員。
生命感にあふれるブロンズ像で高い評価、戦後は日展に出品、48年武蔵野美術学校教授、日展
審査員、50年日展運営会参事、
53年芸術選奨文部大臣賞受賞、54年「青年像」で日本芸術院賞、58年日展評議員、65年日本芸術院会員、日展理事、
69年には武蔵野美術学園初代学園長に就任、勲三等瑞宝章受章、日展常務理事、71年東京国立近代美術館評議員、73年日展顧問、
80年には文化功労者。
高さ 29.0cm(台座 3.0cm)
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中川紀元 『穂高連峰夕陽』 8号 油彩
絵寸法 45.4cm×37.9cm 額寸法 63.0cm×55.1cm 1969年(78歳作)
明治25年(1892)~昭和47年(1972) 81歳没。
辰野町生まれ。本名は紀元次。
東京美術学校彫塑科。石井柏亭、正宗得三郎、マチスに師事。
二紀会結成。第一回長野県展審査員。日本芸術院恩賜賞受賞。
辰野町名誉町民。
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鈴木マサハル 『FIRENZE』 4号 油彩
絵寸法 33.3cm×24.0cm 額寸法 52.9cm×43.9cm
昭和20年(1945)~平成30年(2018) 73歳歿。
横浜に生まれる。武蔵野美術大学入学。安井賞展出品。パリ美術学校留学。
サロン・ドートンヌ展出品。デ・ボザール展ボザール賞受賞。ル・サロン展出品。
I・M・A国際現代美術家協会大賞。同協会林武賞受賞。神奈川県展文部大臣賞受賞。
杜人会展出品(東京セントラル美術館)。国際芸術文化賞受賞。
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中村董斉(七十郎) 『蝦蟇仙人』 木彫 大正7年(1918)39歳作
高さ 48.5cm 幅 21.0cm
明治12年(1879)~昭和36年(1961) 84歳没
上伊那郡朝日村(現辰野町)に生れる。本名は七十郎。
祖父清之丞に立川流の建築・彫刻を学ぶ。中村七十の父。
祖父とともに数多くの建物を建て、自らも棟梁として腕を振るう。木彫を井出嘉仙に学んでからは、木彫に専念。
欄間や衝立の浮彫りにも優れた作品が多い。
『蝦蟇仙人』
中国の仙人。青蛙神を従えて妖術を使うとされる。
左慈に仙術を教わった三国時代の呉の葛玄、もしくは呂洞賓に仙術を教わった五代十国時代後梁の劉海蟾をモデル。
特に後者は日本でも画題として有名であり、顔輝『蝦蟇鉄拐図』の影響で李鉄拐(鉄拐仙人)と対の形で描かれる事が多い。
しかし、両者を一緒に描く典拠は明らかでなく、李鉄拐は八仙に選ばれているが、蝦蟇仙人は八仙に選ばれておらず、中国ではマイナーな仙人である。
一方、日本において蝦蟇仙人は仙人の中でも特に人気があり、絵画、装飾品、歌舞伎・浄瑠璃など様々な形で多くの人々に描かれている。
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滝沢具幸 『 原 野 』 40号 岩彩
絵寸法 100.0cm×80.3cm 額寸法 123.0cm×103.0cm
昭和16年(1941) 飯田市生まれ。
東京芸術大学大学院修了。
第23回新制作協会日本画部新作家賞。
第1回創画展創画会賞。
第1回東京春季創画展春季展賞。
第3回東京春季創画展春季展賞。創画会会員。
第17回MOA美術館岡田茂吉賞。
第8回山種美術館賞展優秀賞。
飯田美術博物館館長歴任。武蔵美教授。
滝沢具幸 『水のある風景』 15号 岩彩
絵寸法 65.2cm×53.2cm 額寸法 80.7cm×68.4cm
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平岩洋彦
昭和19年(1944) 飯田市生まれ。
東京藝術大学大学院を修了後、法隆寺金堂壁画の再現模写に従事しその後、創画展や新制作展などに出品を続ける。
昭和53年には文化庁派遣芸術家在外研修員としてイタリア・フィレンツェに滞在し、西洋美術の影響を受けました。
彼の作品は、四季折々の自然を繊細な筆致で描き、詩情豊かな風景画が特徴です。
平岩洋彦 『 秋 装 』 3号 岩彩
絵寸法 21.8cm×27.0cm 額寸法 42.7cm×47.7cm
平岩洋彦 『望残雪』 3号 岩彩
絵寸法 30.1cm×17.0cm 額寸法 49.4cm×36.3cm
平岩洋彦 『山麓彩雪』 10号 岩彩
絵寸法 41.0cm×53.1cm 額寸法 62.5cm×74.8cm
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村山径 『富士』 10号 岩彩
絵寸法 53.0cm×41.0cm 額寸法 72.2cm×60.0cm
大正6年(1917)~昭和62年(1987) 70歳没。
新潟県柏崎市北条荒町に農家の長男として生まれる。尾竹国観に師事。
川端画学校の日本画科へ進み、のちに太平洋画学校。
新文展に出品した「子等」が初入選。従軍画家として南方戦線に敗戦まで応召。
伊東深水、児玉希望と共に日月社を結成。
児玉希望に師事。日展会員・日展評議員。内閣総理大臣賞。日本芸術院賞および恩賜賞。
日展理事に就任。
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真道 茂
昭和12年(1937)~平成30年(2018) 81歳没
上田市に生まれ。石井鶴三のもと東京藝術大学で彫刻を学び、卒業制作の《飢え》は文部省買上となり、学部を首席で卒業、同大大学院修士課程を修了。
昭和45年のリンダブルン国際彫刻シンポジウムをはじめ、海外での彫刻シンポジウムへ積極的に参加し、国内外で活躍。
また、彫刻作品の制作と合わせて絵画作品の制作にも意欲を注ぎ、平成2年には東京セントラルアネックスにて絵画作品のみの個展も開催。
晩年は諏訪市に居を移し、アトリエで多くの作品を制作。
真道 茂 「 女 性 」 レリーフ
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池上秀畝作品
明治7年(1874)~昭和19年(1944)70歳歿
伊那市高遠に紙商兼小間物屋の次男として生れる。本名は國三郎。
祖父池上休柳は、高遠藩・御用絵師に狩野派を学び、慶応2年には自らの画論『松柳問答』を刊行。
父池上秀華も、岡本豊彦から四条派を学び、祖父と同様、俳句や短歌を詠み、茶道や華道に凝る。
秀畝が口述筆記させた自伝では、生まれた時からこのような環境だったので、絵の描き方を自然に覚えたと語っている。
明治21年頃には、自ら「國山」の号を用いる。明治22年、15歳で小学校を卒業後、父と共に上京。
瀧和亭、川辺御楯を訪ねるが父は気に入らず、当時無名だった荒木寛畝の最初の門人・内弟子となり文人画を学ぶ。
一時は洋画も研究する。明治39年、同じ門下生の大岡豊子(緑畝)と結婚。
明治40年正派同志会第1回展で二等銀牌、翌年の文展で初入選。
3年連続で文展特選。大正8年、帝展で無鑑査。昭和8年、帝展審査員。伝神洞画塾を主宰し後進の指導に尽力。
晩年になっても力作を次々と発表。
昭和25年、伊那公園に、池上家三代の絵師を顕彰する『画人三代碑』が建てられた。
池上秀畝 『図』 半切 紙本
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中島章光(陵堂) 『桜花美人図』 縦額 絹本
慶応元年(1865)~昭和21年(1946) 82歳歿
静岡県生まれ。別号は陵堂。
京絵専で共に学んだ華岳・麦僊らと国画創作協会を設立し活躍。
伊那や高島小学校などで教師。
作品は東京・大阪に多く所蔵。
中島章光 『釈迦出山図』 尺五寸 絹本
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武居大明 『後立山』 8号 岩彩
絵寸法 40.9cm×31.8cm 額寸法 56.5cm×47.5cm
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平澤喜之助
大正8年(1919)~平成6年(1994) 75歳没
上伊那郡宮田村に生まれ、伊那谷の美しい自然のなかで少年時代から夢中になって絵を描いて育ちました。
帝国美術学校洋画科に学び、兵役を経て再び絵画の道を志し、一水会展、双台社展に入選するとともに、
代々木絵画研究所の講師も勤めました。
その後、中川紀元に師事し、小泉清のフォーヴとの出会い、朝井閑右衛門の知遇を得て、作品は内面の
追求へと変化、昭和37年(1962)大調和会復活第1回展に、武者小路実篤らと参 加、以後、大調和会展や
「新しき村」美術展へ出品しました。
平沢の作品は、重厚なマチエールと濃密な色彩に彩られ、不思議な沈みと深い輝きをたたえています。
人間の苦悩と哀愁をたたえた人物画も見る人を引きつけます。
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上野 泰郎 『いつものとき』 12号 岩彩
絵寸法 60.8cm×50.5cm 額寸法 80.7cm×70.3cm
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武居大明 『後立山』 8号 岩彩
絵寸法 40.9cm×31.8cm 額寸法 56.5cm×47.5cm
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平澤喜之助
大正8年(1919)~平成6年(1994) 75歳没
上伊那郡宮田村に生まれ、伊那谷の美しい自然のなかで少年時代から夢中になって絵を描いて育ちました。
帝国美術学校洋画科に学び、兵役を経て再び絵画の道を志し、一水会展、双台社展に入選するとともに、
代々木絵画研究所の講師も勤めました。
その後、中川紀元に師事し、小泉清のフォーヴとの出会い、朝井閑右衛門の知遇を得て、作品は内面の
追求へと変化、昭和37年(1962)大調和会復活第1回展に、武者小路実篤らと参 加、以後、大調和会展や
「新しき村」美術展へ出品しました。
平沢の作品は、重厚なマチエールと濃密な色彩に彩られ、不思議な沈みと深い輝きをたたえています。
人間の苦悩と哀愁をたたえた人物画も見る人を引きつけます。
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上野 泰郎 『いつものとき』 12号 岩彩
絵寸法 60.8cm×50.5cm 額寸法 80.7cm×70.3cm
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岸野圭作
昭和28年 和歌山県御坊市生まれ
昭和51年 加藤東一に師事。日展初入選、日春展奨励賞受賞
昭和55年・平成元年、日展特選受賞
平成15年、松本市へ、平成17年、安曇野市へ転居
平成18年 日展評議員
平成19年 京都醍醐寺霊宝館にて『安曇野から京へ』展
平成23年 日本橋高島屋 個展 岸野圭作日本画展
平成25年、岸野圭作日本画展(豊科近代美術館)
平成26年 日本橋高島屋 岸野圭作日本画展
安曇野写生展(安曇野高橋節郎記念美術館)
平成29年 法蔵寺本堂釈迦三尊像の後背壁画を完成
平成30年 『第1回安曇野涼風扇子公募展』実行委員長
平成30年 日本橋高島屋「安曇野春秋」
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二井榮逸『 』
大正1年(1912)~平成16年(2004) 92歳没。
三重県松坂市出身、三重県県民功労者。
荻生天泉に師事(画)。
第十四世喜多六平太(人間国宝)に師事(能)。
名古屋丸栄、東京、大阪三越、東京、名古屋松坂屋などで個展開催。
アメリカメトロポリタン美術館、斎宮歴史博物館に収蔵。
日本ポルトガル友好450周年記念展最優秀賞受賞。
*************************************************************
《上條俊介 》
明治32年(1899)~昭和55年(1980) 81歳歿
朝日村出身。松本中学(現松本深志高校)を卒業後早稲田大学に進学。
卒業後北村西望に師事。日展・帝展・新文展などの展覧会に作品を発表。
郷里にもいくつか作品を残す。県展では審査員を務め、長野県彫刻工芸会副会長も務める。
晩年は心の安らぎを求めてか仏像なども手がける。
『薬師菩薩明神(神農)』 ブロンズ 高さ25.0cm
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岸野圭作
昭和28年 和歌山県御坊市生まれ
昭和51年 加藤東一に師事。日展初入選、日春展奨励賞受賞
昭和55年・平成元年、日展特選受賞
平成15年、松本市へ、平成17年、安曇野市へ転居
平成18年 日展評議員
平成19年 京都醍醐寺霊宝館にて『安曇野から京へ』展
平成23年 日本橋高島屋 個展 岸野圭作日本画展
平成25年、岸野圭作日本画展(豊科近代美術館)
平成26年 日本橋高島屋 岸野圭作日本画展
安曇野写生展(安曇野高橋節郎記念美術館)
平成29年 法蔵寺本堂釈迦三尊像の後背壁画を完成
平成30年 『第1回安曇野涼風扇子公募展』実行委員長
平成30年 日本橋高島屋「安曇野春秋」
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二井榮逸『 』
大正1年(1912)~平成16年(2004) 92歳没。
三重県松坂市出身、三重県県民功労者。
荻生天泉に師事(画)。
第十四世喜多六平太(人間国宝)に師事(能)。
名古屋丸栄、東京、大阪三越、東京、名古屋松坂屋などで個展開催。
アメリカメトロポリタン美術館、斎宮歴史博物館に収蔵。
日本ポルトガル友好450周年記念展最優秀賞受賞。
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《上條俊介 》
明治32年(1899)~昭和55年(1980) 81歳歿
朝日村出身。松本中学(現松本深志高校)を卒業後早稲田大学に進学。
卒業後北村西望に師事。日展・帝展・新文展などの展覧会に作品を発表。
郷里にもいくつか作品を残す。県展では審査員を務め、長野県彫刻工芸会副会長も務める。
晩年は心の安らぎを求めてか仏像なども手がける。
『薬師菩薩明神(神農)』 ブロンズ 高さ25.0cm
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矢崎牧廣『石廊崎』6号 油彩
絵寸法 41.0cm × 31.8cm 額寸法 61.0cm × 51.8cm
明治38年(1905)~昭和58年(1983) 77歳歿
茅野市上原生まれ。岸田劉生の作品展を見て画家を志し、大正13年上京して林武に師事。
協会展、二科展などに入選、独立美術協会展には第1回展から出品。
昭和18年「ハルピン風景(一)・(二)」にて独立美術協会賞を受賞。
昭和26年、会員。戦後の「信州美術展」の開催に尽力、
諏訪美術館設立のため講習会を行うなど郷土の美術振興に貢献。
昭和24年、県展審査員を務める。
一貫して風景をテーマとし、骨太で力強く自然の躍動感・生命感を追い求めた。
昭和60年、茅野市美術館で遺作展が開催。

「モレー風景」 6号 油彩
絵寸法 41.0cm×31.8cm 額寸法 61.0cm×51.8cm

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山本 弘 『河童2』 3号 油彩 1980(50歳作)
絵寸法 24.2cm×33.5cm 額寸法 39.0cm×48.0cm
*************************************************************
《 三木 登 》
1946年 須坂市に生まれる。
1982年 平川敏夫氏に師事。
1989年 ソビエト欧美国際展優秀賞。
2000年 創画会春期展受賞。
2001年 創画会賞受賞。秋野不矩天竜川絵画公募展準大賞受賞。
2002年 文化庁現代美術選抜展出品
2005年 創画会賞受賞。
2006年 創画会賞受賞。創画会会員に推挙。
現 在 豊橋市在住
『春耀』10号 岩彩
絵寸法 45.5cm × 53.0cm 額寸法 65.7cm × 73.0cm

『 』10号 岩彩
絵寸法 53.0cm × 40.9cm 額寸法 71.5cm × 59.1cm
*************************************************************
米谷 清和 『Hadson River』 2号
版画 7/10
画寸法 20.0cm×14.3cm 額寸法 44.0cm×36.5cm
昭和22年(1947)福井県福井市に生まれる。横山操奨学金により渡欧。
第4回改組日展に初入選。*以後出品を重ねる。会員・年評議員。
多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。
個展(渋谷画廊、東京)。第9回改組日展で特選受賞。
第19回展で特選、第33回展で会員賞。
第1回東京セントラル美術館日本画大賞展で佳作賞受賞。
個展(資生堂ギャラリー、東京)。
多摩美術大学日本画科講師。
横の会結成に参加、第1回展に出品。第10回展まで出品し解散。
第8回山種美術館賞展で優秀賞受賞。
個展(有楽町アートフォーラム、東京、他)。
第3回具象絵画ビエンナーレ展。日本画-雨と余情(埼玉県立近代美術館)。
日本画-現代の視角(新潟市美術館)。両洋の眼展出品。
現代日本の屏風絵展(デュッセルドルフ州立フォルク・ウント・ヴィルトシャフト美術館、他)。
個展(北陸電力・エルフ福井)。多摩美術大学日本画科教授。個展(日本橋・髙島屋、他)。
日本画-純粋と越境展(練馬区立美術館)。
三鷹の原風景とその画家たち(三鷹市芸術文化センター)。個展(福井県立美術館)。

米谷 清和 『Night Light Ⅳ』 0号
矢崎牧廣『石廊崎』6号 油彩
絵寸法 41.0cm × 31.8cm 額寸法 61.0cm × 51.8cm
明治38年(1905)~昭和58年(1983) 77歳歿
茅野市上原生まれ。岸田劉生の作品展を見て画家を志し、大正13年上京して林武に師事。
協会展、二科展などに入選、独立美術協会展には第1回展から出品。
昭和18年「ハルピン風景(一)・(二)」にて独立美術協会賞を受賞。
昭和26年、会員。戦後の「信州美術展」の開催に尽力、
諏訪美術館設立のため講習会を行うなど郷土の美術振興に貢献。
昭和24年、県展審査員を務める。
一貫して風景をテーマとし、骨太で力強く自然の躍動感・生命感を追い求めた。
昭和60年、茅野市美術館で遺作展が開催。
「モレー風景」 6号 油彩
絵寸法 41.0cm×31.8cm 額寸法 61.0cm×51.8cm
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山本 弘 『河童2』 3号 油彩 1980(50歳作)
絵寸法 24.2cm×33.5cm 額寸法 39.0cm×48.0cm
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《 三木 登 》
1946年 須坂市に生まれる。
1982年 平川敏夫氏に師事。
1989年 ソビエト欧美国際展優秀賞。
2000年 創画会春期展受賞。
2001年 創画会賞受賞。秋野不矩天竜川絵画公募展準大賞受賞。
2002年 文化庁現代美術選抜展出品
2005年 創画会賞受賞。
2006年 創画会賞受賞。創画会会員に推挙。
現 在 豊橋市在住
『春耀』10号 岩彩
絵寸法 45.5cm × 53.0cm 額寸法 65.7cm × 73.0cm
『 』10号 岩彩
絵寸法 53.0cm × 40.9cm 額寸法 71.5cm × 59.1cm
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米谷 清和 『Hadson River』 2号
版画 7/10
画寸法 20.0cm×14.3cm 額寸法 44.0cm×36.5cm
昭和22年(1947)福井県福井市に生まれる。横山操奨学金により渡欧。
第4回改組日展に初入選。*以後出品を重ねる。会員・年評議員。
多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。
個展(渋谷画廊、東京)。第9回改組日展で特選受賞。
第19回展で特選、第33回展で会員賞。
第1回東京セントラル美術館日本画大賞展で佳作賞受賞。
個展(資生堂ギャラリー、東京)。
多摩美術大学日本画科講師。
横の会結成に参加、第1回展に出品。第10回展まで出品し解散。
第8回山種美術館賞展で優秀賞受賞。
個展(有楽町アートフォーラム、東京、他)。
第3回具象絵画ビエンナーレ展。日本画-雨と余情(埼玉県立近代美術館)。
日本画-現代の視角(新潟市美術館)。両洋の眼展出品。
現代日本の屏風絵展(デュッセルドルフ州立フォルク・ウント・ヴィルトシャフト美術館、他)。
個展(北陸電力・エルフ福井)。多摩美術大学日本画科教授。個展(日本橋・髙島屋、他)。
日本画-純粋と越境展(練馬区立美術館)。
三鷹の原風景とその画家たち(三鷹市芸術文化センター)。個展(福井県立美術館)。
米谷 清和 『Night Light Ⅳ』 0号
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矢沢 弦月
絵寸法 40.8cm×126.0cm 軸寸法 54.0cm×198.8cm
明治19年(1886)~昭和27年(1952) 66歳没。
諏訪市生まれ。東京美術学校を首席卒業。
本名は貞則。寺崎広業に師事。文展・帝展。
帝展審査員。長野県展審査員。日展審査員。
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町田曲江『蓬莱仙境図』尺五寸 絹本
絵寸法 42.0cm × 128.5cm 軸寸法 56.0cm × 209.5cm
明治12年(1879)~昭和42年(1967) 89歳没
中野市に生まれる。本名は春之助。児玉果亭・菊地契月・内海吉堂・寺崎廣業に師事。
東洋美術への回帰。帝展委員に推薦、無鑑査。明治神宮絵画館の壁画揮毫。
信州美術会長を務め発展に尽くす。日本画院再興に尽力、同人。
仏教説話に画題をとり、西洋写実技法とイタリアフィレンツエ派の淡い色調を伝統的な
日本画の技法で独自の新古典的画境を見いだす。
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川船水棹 『静御前之図』 尺五寸 絹本
絵寸法 27.7cm × 115.2cm 軸寸法 39.0cm × 189.7cm
明治20年(1884)~昭和55年(1980)94歳歿。
松本藩士の三男で東京に生まれる。
小堀鞆音に師事。文展・帝展入選を続ける。
一時、松本に居住、その後上京。安田靫彦らと朱弦会結成。
長野市に疎開、画塾青芽会を開設し後進を指導。
伊東深水・奥村土牛・矢沢弦月らと「全信州美術会」結成。
県展の設立運営に参画、審査員を務める。
土佐派を継承する武者絵は正確な時代考証がされ臨場感を表す。
花鳥画・風景画も得意とした。
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鈴木三朝『清流渓谷』尺五寸 紙本 共箱
絵寸法 42.5cm × 115.0cm 額寸法 56.2cm × 194.0cm
明治32年(1899)~平成9年(1997) 98歳歿。
三重県津市に生まれる。池上秀畝・荒井寛方に師事。
第14回・第19回日本美術院展に入選。この時から雅号を「兆皓」から「三朝」に改める。
文部省嘱託・法隆寺金堂壁画の保存模写事業が始まる。荒井寛方の助手として従事。
第二号小壁・菩薩、第十号大壁・薬師浄土。浜松に居を定める。
荒井寛方の不慮の死で、法隆寺金堂壁画模写荒井班の主任代理を務める。
院展特待。

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《 滝川 太郎 》
明治36年(1903)~昭和45年(1970) 67歳歿
絵寸法 32.8cm×133.5cm 軸寸法 43.2cm×208.2cm

『 酒 筵 』の意味
②『観月之図』 半切 紙本
《 佐野光穂 》
明治29年(1896)~昭和35年(1960)65歳没
町田曲江・菊地契月・西山翠嶂・富田渓仙に師事。
別号は省峰、契明、泥牛、欣二郎、晃林。
中野市金井に生まれる。院展に出品。
山ノ内町へ疎開、京都に移る。
「香魚」尺三寸 絹本 共箱
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矢沢 弦月
絵寸法 40.8cm×126.0cm 軸寸法 54.0cm×198.8cm
明治19年(1886)~昭和27年(1952) 66歳没。
諏訪市生まれ。東京美術学校を首席卒業。
本名は貞則。寺崎広業に師事。文展・帝展。
帝展審査員。長野県展審査員。日展審査員。
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町田曲江『蓬莱仙境図』尺五寸 絹本
絵寸法 42.0cm × 128.5cm 軸寸法 56.0cm × 209.5cm
明治12年(1879)~昭和42年(1967) 89歳没
中野市に生まれる。本名は春之助。児玉果亭・菊地契月・内海吉堂・寺崎廣業に師事。
東洋美術への回帰。帝展委員に推薦、無鑑査。明治神宮絵画館の壁画揮毫。
信州美術会長を務め発展に尽くす。日本画院再興に尽力、同人。
仏教説話に画題をとり、西洋写実技法とイタリアフィレンツエ派の淡い色調を伝統的な
日本画の技法で独自の新古典的画境を見いだす。
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川船水棹 『静御前之図』 尺五寸 絹本
絵寸法 27.7cm × 115.2cm 軸寸法 39.0cm × 189.7cm
明治20年(1884)~昭和55年(1980)94歳歿。
松本藩士の三男で東京に生まれる。
小堀鞆音に師事。文展・帝展入選を続ける。
一時、松本に居住、その後上京。安田靫彦らと朱弦会結成。
長野市に疎開、画塾青芽会を開設し後進を指導。
伊東深水・奥村土牛・矢沢弦月らと「全信州美術会」結成。
県展の設立運営に参画、審査員を務める。
土佐派を継承する武者絵は正確な時代考証がされ臨場感を表す。
花鳥画・風景画も得意とした。
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鈴木三朝『清流渓谷』尺五寸 紙本 共箱
絵寸法 42.5cm × 115.0cm 額寸法 56.2cm × 194.0cm
明治32年(1899)~平成9年(1997) 98歳歿。
三重県津市に生まれる。池上秀畝・荒井寛方に師事。
第14回・第19回日本美術院展に入選。この時から雅号を「兆皓」から「三朝」に改める。
文部省嘱託・法隆寺金堂壁画の保存模写事業が始まる。荒井寛方の助手として従事。
第二号小壁・菩薩、第十号大壁・薬師浄土。浜松に居を定める。
荒井寛方の不慮の死で、法隆寺金堂壁画模写荒井班の主任代理を務める。
院展特待。
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《 滝川 太郎 》
明治36年(1903)~昭和45年(1970) 67歳歿
松本市天神(現在の松本市深志2丁目付近)生まれ。
開智小学校卒業後、松本市縄手のそば屋「弁天楼」に住み込みで働く。
上京し太平洋画会研究所に学ぶ。二科展に入選。
渡仏。帰国、松本駅前農業会館で帰朝記念展。
一水会展で岩倉具方賞を受賞。一水会会員。
脳溢血で右手が不自由、以後は左手で制作。
開智小学校卒業後、松本市縄手のそば屋「弁天楼」に住み込みで働く。
上京し太平洋画会研究所に学ぶ。二科展に入選。
渡仏。帰国、松本駅前農業会館で帰朝記念展。
一水会展で岩倉具方賞を受賞。一水会会員。
脳溢血で右手が不自由、以後は左手で制作。
①『酒筵之図』 半切 紙本
絵寸法 32.8cm×133.5cm 軸寸法 43.2cm×208.2cm
『 酒 筵 』の意味
*旅の土ぼこりを落 とす宴席。
*宴を設けて遠来の 客をもてなすこと。
②『観月之図』 半切 紙本
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