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~ホームページをご覧頂いた方~

全国各地で桜の便りが届き、心がうきうきしてきますね。

でもまだまだ、能登の人たちの日常が戻っていません。

また相変わらず日本の政治家の人たちは嘘つきばかり。

こんな日常の中、現実は動いています。

だからこそ、一枚の絵を眺めて、日々の生活が癒やされれば良いですね。



コロナ対策のお願い


①入り口でのアルコール消毒、
体温チェック。
②マスク装着。

*体調の悪い方はご遠慮下さい。


このような対策を行い『三密』に配慮しお客様をお迎え致してお
ります。


 『 画廊は、敷居は高いが、でも癒やされる 』
        そんな画廊が、だいこく画廊です。

  是非一度、ご来廊してみて下さい!

  満足して頂けます。
      

 こんな時だからこそ、絵を眺めるも良し、話をするも良し、ストレス
消するも良し、そんな場所にして頂き少しでも明るい気持ちでお過ご
頂ければと思います。くれぐれも無理をせずご自愛下さい。



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  ~生誕150年記念~ 『池上秀畝作品60点大展示』

        『掛軸・日本画・洋画・彫塑展』 


 会期 4月中  午前10時~午後5時
     

 会場 有限会社だいこく画廊 ギャラリー内

  

気になる作品・価格の値引きなど、お気軽にお問い合わせ下さい。



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   池上秀畝作品60点大展示 (60点の内の一部)


        
『花窓春思』       『雪中軍鶏』    
絹本 尺三寸 共箱     絹本 尺八寸 共箱     
絵寸法          絵寸法                      
35.7×129.2cm     50.0×134.5cm    
軸寸法          軸寸法           
50.0×208.3cm     66.1×215.3cm

             
 『春華飛禽』     『孤鹿之図』     『早春』      
 絹本 尺五寸      絹本 尺五寸 共箱 


     
  『月都』     『波涛飛鶴図』
絹本 尺五寸 共箱     絹本尺五寸
  絵寸法

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売約済み  菊池契月 『藤娘』 絹本 尺五寸 共箱

     絵寸法 42.2cm×126.7cm  額寸法 58.3cm×224.0cm


                  


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   中島 千波 『櫻花霞富士』 179/200  リトグラフ

      絵寸法 75.0cm×57.0cm  額寸法 97.5cm×79.0cm

昭和20年(1945)、疎開先の長野県小布施に生まれる。
父は日本画家 中島清之。
昭和46年東京芸術大学大学院卒業。在学中に院展初入選、以後受賞を重ねる。
人間を題材とした「衆生」「形態」などのシリーズのほか、桜をはじめとする
花鳥画など多彩な画題に取り組み、日本画であり続けながら伝統に安住せず、
常に新しい時代の表現を求めて独創的な美の世界を謳い続けている。
現在、東京藝術大学名誉教授。日本美術家連盟常任理事。

        


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  清水多嘉示 『女の立像』 ブロンズ

 1950年(53歳作) 高さ 78.0cm

明治30年(1897)~昭和56年(1981) 84歳没。原村出身。

1915年旧制諏訪中学中退、若くして画才を発揮、当初は画家を志し、風景や人物を重厚な色彩とタッチで描く。
二科展に入選、渡仏するまで毎回入選。
1923年絵画を学ぶためパリに渡り、「サロン・デ・テュイルリー」でオーギュスト・ロダンの高弟、
アントワーヌ・ブールデルの作品と出会い感銘を受け、彫刻家を志した。
E・ブールデルに師事。
サロン・ドートンヌへ絵画、彫刻を出品、1927年まで毎回入選。
アルベルト・ジャコメッティ、藤田嗣治、イサム・ノグチ、小山敬三らと交遊。
1928年 帰国、
1929年 帝国美術学校助教授。ブロンズ彫刻で、院展、国画会の国展、春陽会展、
       サンパウロ・ビエンナーレ国際現代美術展などに出品。
1943年 新文展審査員。生命感にあふれるブロンズ像で高い評価、戦後は日展に出品、
1948年 武蔵野美術学校教授、日展審査員、
1950年 日展運営会参事、
1953年 芸術選奨文部大臣賞受賞、
1954年 「青年像」で日本芸術院賞、
1958年 日展評議員、
1965年 日本芸術院会員、日展理事、
1969年 武蔵野美術学園初代学園長に就任、勲三等瑞宝章受章、日展常務理事、
1971年 東京国立近代美術館評議員、
1973年 日展顧問、
1980年 文化功労者。


          


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  長田平次 『寿老』 木彫 共箱

 昭和22年(60歳作)  高さ 37.5cm(頭)44.5cm(杖)

明治21年(1888)~昭和39年(1964) 76歳歿
茅野市玉川穴山の指物師の家に生まれる。
大正5年に上京、朝倉文夫、藤井浩祐に師事、東京美術学校(現東京芸大)彫刻科に学ぶ。
昭和2年、第8回帝展にて「初夏」が初入選した後、戦前は帝展、文展、
戦後は日展、日彫展、白日展、信濃美術展、長野県展を中心に活躍。
裸婦を中心に、多様な人物像を制作。
何通りものポーズをとる数々の立像や座像からは、体の動きと線とを丹念に研究し、制作に活かし
彫刻に対する丁寧で真摯な姿勢がうかがえる。
人の動作には自然な流れがあり、穏やかな作風で、一種独特な雰囲気を持っている。
作品からは内面に湛えた力が感じられ、入念に人物の動きを研究し、体の力点、重心を正確に把握。
細かなところまで注意が行き届いた作品からは、バランスのとれた美しさが伝わってくる。

              


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  真道 茂 『木曽馬』 木彫 共箱

  1986年(50歳作)  44.5cm(幅) 36.5cm(高さ)

昭和12年(1937)~平成30年(2018) 81歳没
上田市に生まれ。
石井鶴三のもと東京藝術大学で彫刻を学び、卒業制作の《飢え》は文部省買上となり、学部を首席で卒業、同大大学院修士課程を修了。
昭和45年のリンダブルン国際彫刻シンポジウムをはじめ、海外での彫刻シンポジウムへ積極的に参加し、国内外で活躍。
また、彫刻作品の制作と合わせて絵画作品の制作にも意欲を注ぎ、平成2年には東京セントラルアネックスにて絵画作品のみの個展も開催。
晩年は諏訪市に居を移し、アトリエで多くの作品を制作。

            


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   佐々木 裕而



昭和26年(1951)~令和5年(2023)71歳没。
北海道出身。安宅賞受賞(芸大学内賞)・東京芸術大学大学院専攻終了。
グループ展、双美会展・行人社展に出品(以後毎回)。
新宿住友ビルミニチュア日本画大賞展・住友ビル賞受賞。
東京セントラル美術館日本画大賞展出品。東京資生堂ギャラリーで個展。
高島屋日本橋店で個展。東京セントラル美術館日本画大賞展招待出品。
栗田美術館で個展。増上寺天井画制作。
日本経済新聞ファミリーカレンダー原画。
ロシア日本の美展。東日本大震災復興チャリティー・アート展。


  『松林彩籟』 4号 岩彩

      絵寸法 32.3cm×23.4cm  額寸法 58.4cm×49.4cm


      



  『黎明大正池』 4号 岩彩

      絵寸法 33.5cm×24.2cm  額寸法 52.2cm×43.0cm


      


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   池上秀畝 『双鴨図』 4号 絹本

      絵寸法 25.5cm×33.5cm  額寸法 44.2cm×52.5cm

    


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  江崎孝坪 『晴日』 二尺二寸横物 紙本 共箱

     絵寸法 65.3cm×53.7cm  軸寸法 81.2cm×158.0cm

明治37年(1904)~昭和38年(1963) 71歳歿
上伊那郡高遠町(現・伊那市)出身。本名は孝平。歴史人物画を得意とした。
呉服商で図案を描いて生計を立て、日本画家の蔦谷龍岬に大和絵を学んだ。
昭和2年、第8回帝展で「晩秋」が初入選。
昭和8年に龍岬が死去後、前田青邨に師事。
昭和15年に大礼記念京都美術館で開催された日本画大展覧会では、「雲と防人」が大毎・東日賞を受賞。
昭和16年の第4回新文展では「撃て」が特選。
昭和22年の第3回日展では「像造」が特選。
戦後には大仏次郎著『乞食大将』、吉川英治著『太閤記』、井上靖著『風と雲と砦』『真田軍記』『風林火山』に挿絵を描いたり、
黒澤明監督の映画『七人の侍』で衣装考証を担当したり、歌舞伎「新忠臣蔵」で舞台装置を製作するなど、芸術界で幅広く活躍した。
『七人の侍』では第29回アカデミー賞で衣裳デザイン賞にノミネートされている。
高遠にある菩提寺の建福寺へ、昭和25年に第6回日展に出品した『薬師』を寄贈。


      


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   川船水棹 『松に双鳩図』 尺三寸 絹本

     絵寸法 35.6cm×125.2cm  軸寸法 49.0cm×211.8cm

明治20年(1887)~昭和55年(1980) 94歳歿
松本藩士の三男として東京に生まれる。
小堀鞆音に師事。安田靫彦・今村紫紅らの紅児会に加わる。
文展・帝展に入選。特選・無鑑査。
小堀鞆音塾を解散、靫彦らと朱弦会を結成。
長野市に疎開、画塾青芽会を開設、後進を指導。
疎開していた伊東深水・奥村土牛・矢沢弦月・町田曲江らと「全信州美術会」を結成。
設立運営、参画、審査員を務める。
土佐派の伝統を継承する武者絵は正確な時代考証。

        



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   武井 直也 『 裸 婦 』 ブロンズ 高さ 33.0cm

          箱書き 昭和29年12月 武井吉太郎識

明治26年(1893)~昭和15年(1940) 47歳没
岡谷市に生まれる。篆刻家の八幡郊処の影響で彫刻家を志す。
上京、戸張孤雁に師事、東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻本科塑像部を卒業。
日本美術院展に3年連続入選した後、1924年フランスへ留学、同郷の清水多嘉示らとパリに住む。
アントワーヌ・ブールデル門下に入り、東洋人初の塾長となった。
1927年帰朝、日本彫刻界にフランス近代彫刻の新しい風を吹き込んだ。
昭和初め頃より東京下落合にアトリエをもち製作に没頭し、1936年には日本彫刻家協会を結
成してそのリーダーとなった。
腸チフスのため東大病院で急逝した。

              


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    矢崎乕夫 『 維 摩 』 陶彫 

     高さ 30.0cm 幅15.0cm  昭和46年(1971)三越個展出品作

明治37年(1904)~昭和63年(1988) 84歳没
茅野市生まれ。平櫛田中に師事。東京美術学校(現東京芸術大学) 彫塑科卒業。
昭和 4年、院展に初入選、以降院展白寿賞を3回受賞する。
昭和39年 渡欧、オーストリアのウィーン大学で仏教芸術を講義した後、
      フランス・パリでオシップ・ザッキンに師事。
昭和41年 日本画府展で「雷電像」文部大臣賞。
昭和46年 長野市野外彫刻賞を受賞。
晩年は仏教を主題に木彫像を制作していた。
東京国立近代美術館「托鉢」・總持寺「雲水群像」・諏訪湖上に「八重垣姫」。
ピラタス蓼科ロープウェイに蓼科高原美術館・矢崎虎夫記念館開館。


              


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   西岡 瑞穂 『高島公園の秋』 8号 油彩

 昭和5年10月17日 43歳作
              絵寸法 45.8cm×37.8cm  額寸法 69.2cm×61.5cm

明治21年(1888)~昭和48年(1973)86歳歿
高知県安芸郡安田村(現・安田町)出身。
高知県立第三中学校(現・高知県立安芸中学校・高等学校)、
       一年間の小学校代用教員。
大正 元年 東京美術学校(現・東京芸術大学)図画師範科卒業。
      鹿児島県内の中学校教諭。
大正 2年 諏訪中学校(現・諏訪清陵高等学校・附属中学校)教諭。
      教え子に彫刻家清水多嘉示、洋画家高橋貞一郎がいる。
      諏訪高等女学校(現・諏訪二葉高等学校)教諭。
大正 8年 野沢中学校(現・野沢北高等学校)教諭。
大正 9年 旅順高等女学校教諭。
大正14年 フランスへ留学。
昭和 3年 帰国後は、諏訪市を拠点に活動。
昭和28年 高知県に帰郷。
昭和45年 諏訪市へ戻る。

      


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   志村一男 『貝殻静物』 6号 油彩


     絵寸法 41.0cm×31.8cm  額寸法 62.0cm×52.9cm

明治41年(1908)~昭和56年(1981) 73歳歿
諏訪市四賀に農家の長男として生まれた。
10歳のときに通っていた四賀小学校で岸田劉生展を見て感動し、画家を志す。家業のかたわら独学で絵を描く。
矢崎牧廣と知り合い啓発され、冬季のみ春陽会洋画研究所に通い研鑽。
昭和5年協会展、独立美術展に入選を果たした後、中川一政に師事、春陽会を中心に活動。やがて東京を拠点に、
故郷の諏訪地域を行き来しながら、身の回りの食品や器を題材とした静物画、多摩川の河原や八ヶ岳山麓の田園
風景を描き続ける。
時流に流されることなく、対象から受ける感動を実直に表すという制作姿勢は生涯貫く。


      


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   武居大明 『舞妓』 8号 岩彩

      絵寸法 37.0cm×45.0cm  額寸法 55.5cm×63.2cm

明治34年(1901)~昭和59年(1984) 84歳没。
諏訪市出身。本名は重則。尾竹竹坡・蔦谷龍岬に師事。
日本画会展に入選。第一回長野県展入選。長野県日本画会発足に参加。



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   平澤喜之助 『チューリップ花』 色紙額 油彩

     絵寸法 24.0cm×27.0cm  額寸法 42.0cm×44.8cm

大正8年(1919)~平成6年(1994) 75歳没
上伊那郡宮田村に生まれ、伊那谷の美しい自然のなかで少年時代から夢中になって絵を描いて育ちました。
帝国美術学校洋画科に学び、兵役を経て再び絵画の道を志し、一水会展、双台社展に入選するとともに、
代々木絵画研究所の講師も勤めました。
その後、中川紀元に師事し、小泉清のフォーヴとの出会い、朝井閑右衛門の知遇を得て、作品は内面の
追求へと変化、昭和37年(1962)大調和会復活第1回展に、武者小路実篤らと参 加、以後、大調和会展や
「新しき村」美術展へ出品しました。
平沢の作品は、重厚なマチエールと濃密な色彩に彩られ、不思議な沈みと深い輝きをたたえています。
人間の苦悩と哀愁をたたえた人物画も見る人を引きつけます。



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   山田白龍 『双鯉』 10号 岩彩

      絵寸法 51.0cm×44.5cm  額寸法 74.7cm×68.1cm


明治37年(1904)~昭和57年(1982) 78歳歿
諏訪市出身。本名は久重。別号に頼渓。田中頼璋に師事。
その後、平福百穂・益田玉城に師事。昭和16年太平洋戦争で南方各地を転戦、スマトラで終戦。
暇さえ有れば、植物の一茎、一葉、蝶などにも心をとめてスケッチ。
昭和21年復員。
翌年、山田頼渓・林宗蘊・長崎通喜・武居大明・平澤有外・藤森青雲らと同人会『白龍会』を結成。
昭和34年、迎賓館の踊場の壁画(昇龍・孔雀)・各室の床の間の軸の揮毫の依頼が有り、
完成した昭和36年、高松宮・同妃両殿下にご高覧の栄に浴す。


    


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 小山 茂  『桔梗に邯鄲』 3号 岩彩

      絵寸法 22.0cm×27.3cm  額寸法 39.7cm×44.9cm

昭和19年  大連に生れる
昭和41年  東京芸術大学美術部日本画科卆業
昭和42年  法隆寺金堂壁画再現模写従事(吉岡堅二班)
昭和43年  新制作春季展入選(以後6回)
昭和44年  「12月会」結成 第1回展出品(~79)
昭和53年  イタリア美術賞展優秀賞・大衆賞(ベニス市)
昭和54年  フランス美術賞オンフルール・エブール展大賞
       ギリシャ美術賞展受賞 アテネ国立近代美術館収蔵
昭和55年  日本画壇の全貌展(以後3回) 双美会展(以後4回)
昭和55年~57年  個展21回


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   松本 高明 『富貴花』 10号 岩彩

      絵寸法 52.7cm×45.5cm  額寸法 873.6cm×65.9cm

昭和20年 三重県で生まれる
昭和44年 静岡大学農学部卒業
昭和50年 院展初入選
昭和53年 日本美術院院友
平成 4年 院展奨励賞受賞
平成 6年 外務大臣賞受賞
平成23年 日本美術院賞受賞
松尾敏男に師事

      



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   武者小路 実篤 『白百合の図』 色紙額 無車会証明有り

      絵寸法 24.0cm×27.0cm  額寸法 50.0cm×53.3cm




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   上野 泰郎 『いつものとき』 12号 岩彩

      絵寸法 60.8cm×50.5cm  額寸法 80.7cm×70.3cm

大正15年(1926)~平成17年(2005) 79歳歿
東京都豊島区に染色家の父、松岡映丘門下の日本画家の母の間に生まれる。
東京美術学校日本画科に入学、山本丘人の指導を受ける。
48年同校日本画科を卒業。
同年結成された創造美術の第1回展に初入選し、以後同展に出品、
50年第2回春季展で春季賞、第3回展で佳作賞、51年第3回春季展で研究賞を受賞。
51年創造美術が新制作協会日本画部となって以後は新制作展に出品し、
52年第16回展、54年第18回展、57年第12回展で新作家賞、59年同会会員。
創画会会員、多摩美術大学名誉教授。


      



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高橋秀年 『 夕 月 』 SM 岩彩

  絵寸法 15.6cm×22.3cm  額寸法 37.5cm×44.4cm

昭和28年(1953)東京生まれ。
日本美術院同人。評議員。あとりえ天山主宰。東京造形大学卒業。
油彩画より日本画に転向。今野忠一に師事。
雅号を天山。(旧雅号は秀年)

      


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岡崎忠雄 『白芙蓉』 12号 岩彩

  絵寸法 61.3cm×46.1cm  額寸法 82.6cm×67.5cm

昭和18年(1943)~平成14年(2002)
京都生まれ。京都市立美術大学日本画科修了。
新制作日本画部春季展賞受賞(以後4回)。
京都府日本画科新人賞受賞。
フィレンツェにて、フラ・アンジェリコ作「受胎告知」模写。
第6回・第7回山種美術館賞展出品。昭和世代日本画展出品。
東京セントラル美術館日本画大賞展招待出品。
中野嘉之と二人展開催。個展開催。

      


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工藤甲人 『夕雉子』 4号 岩彩

  絵寸法 33.4cm×24.4cm  額寸法 52.5cm×43.6cm

大正4年(1915)~平成23年(2011) 95歳没
青森県弘前市出身。本名は儀助(ぎすけ)。川端画学校日本画科に入学。
岡村葵園や福田豊四郎に師事。創画会会員。東京芸術大学教授。名誉教授。
沖縄県立芸術大学客員教授。神奈川県庁に飾られていた工藤の作品が盗難の被害に遭った。
自然の昆虫や小動物、植物の葉などを繊細な描線で描き、その周りを群青などの単色の
岩絵具で色面を大きく取り、装飾的に感じるような構図が特徴とされる。
郷愁や宗教感を感じさせる鮮麗で夢幻的な心象世界を描き出し、現代日本画に新生面を切り
拓いたと評される。

      

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岸野圭作 『富士』 6号 岩彩

  絵寸法 41.0cm×32.0cm  額寸法 59.5cm×50.5cm

昭和28年 和歌山県御坊市生まれ
昭和51年 加藤東一に師事。日展初入選、日春展奨励賞受賞
昭和55年・平成元年、日展特選受賞
平成15年、松本市へ、平成17年、安曇野市へ転居
平成18年 日展評議員
平成19年 京都醍醐寺霊宝館にて『安曇野から京へ』展
平成23年 日本橋高島屋 個展 岸野圭作日本画展
平成25年、岸野圭作日本画展(豊科近代美術館)
平成26年 日本橋高島屋 岸野圭作日本画展
      安曇野写生展(安曇野高橋節郎記念美術館)
平成29年 法蔵寺本堂釈迦三尊像の後背壁画を完成
平成30年 『第1回安曇野涼風扇子公募展』実行委員長
平成30年 日本橋高島屋「安曇野春秋」

      



岸野圭作 『泉小太郎桜』 15号 写生

  絵寸法 46.0cm×68.0cm  額寸法 64.8cm×86.4cm

      


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野々内良樹『 常 鶲 』10号 岩彩

   絵寸法 52.5cm × 40.5cm  額寸法 72.5cm × 60.5cm

昭和5年(1930)~平成21年(2009) 80歳没
京都府に生まれる。父は、日本画家の野々内保太郎。
京都市立美術専門学校(現:京都市立芸術大学)卒業。西山英雄に師事。
朝日新人展招待。日展特選・白寿賞。日春展入選。
山種美術館賞展招待出品。日展特選。日展審査員。


  9"    


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二井榮逸『 翁 』絹本 10号

                    卒寿記念(平成14年)90歳作

     絵寸法 53.0cm × 45.5cm  額寸法 75.7cm × 68.3cm


大正1年(1912)~平成16年(2004) 92歳没。
三重県松坂市出身、三重県県民功労者。
荻生天泉に師事(画)。
第十四世喜多六平太(人間国宝)に師事(能)。
名古屋丸栄、東京、大阪三越、東京、名古屋松坂屋などで個展開催。
アメリカメトロポリタン美術館、斎宮歴史博物館に収蔵。
日本ポルトガル友好450周年記念展最優秀賞受賞。


      



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羽毛田 陽吉 『千曲河畔』  3号 岩彩

       絵寸法 18.0cm×39.0cm  額寸法 30.5cm×52.5cm

昭和5年、木曽郡上松町生まれ。金沢美大日本画科卒業。
中村岳陵に師事。加藤晨明に師事。信州美術会会員。長野県美術展審査員。
日展入選、特選。長野県知事表彰。学術芸術文化功労。長野市文化芸術表彰。
日展日本画審査員。日展会員。


      


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《上條俊介 》 

明治32年(1899)~昭和55年(1980) 81歳歿

朝日村出身。松本中学(現松本深志高校)を卒業後早稲田大学に進学。
卒業後北村西望に師事。日展・帝展・新文展などの展覧会に作品を発表。
郷里にもいくつか作品を残す。県展では審査員を務め、長野県彫刻工芸会副会長も務める。
晩年は心の安らぎを求めてか仏像なども手がける。

『薬師菩薩明神(神農)』 ブロンズ 高さ25.0cm 


         



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山本安曇 『獅子耳花瓶』 鋳造

       径寸法  13.5cm   高さ寸法 12.5cm

明治18年(1885)~ 昭和20年(1945)
南安曇郡有明村(現・安曇野市)に生まれる。本名は山本 菊一。
旧制京北中学卒業後、郷里の小学校で教鞭をとり、研成義塾で井口喜源治の薫陶を受ける。
明治40年 東京美術学校(現東京藝術大学)鋳金科に入学。
成績優秀で香取秀真の信望を受け、また在学中から同郷の荻原守衛(碌山)と親交を深める。
またその作品の鋳造に着手する。
明治45年 卒業。
大正 2年 青壺会、結成に参加。
大正 7年 金人会、結成に参加。
大正13年 光爐会、結成に参加。
大正14年 工芸済々会などの結成に参加。
昭和 2年 第8回帝国美術院展(帝展)に出品した「三光(朧銀燭台)」で初入選。
昭和 7年 帝展に「盤(果物盛器)」を出品し、審査員となる。
昭和11年 改組後の第1回帝展に出品した「三蔵法師」が文部省の指定買上げとなる。
文部省美術展覧会鑑査展に委員を委嘱されるなど、精力的に活動した。
昭和20年3月4日の東京大空襲で死去。


            



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矢崎牧廣『石廊崎』6号 油彩

    絵寸法 41.0cm × 31.8cm  額寸法 61.0cm × 51.8cm

明治38年(1905)~昭和58年(1983) 77歳歿
茅野市上原生まれ。岸田劉生の作品展を見て画家を志し、大正13年上京して林武に師事。
協会展、二科展などに入選、独立美術協会展には第1回展から出品。
昭和18年「ハルピン風景(一)・(二)」にて独立美術協会賞を受賞。
昭和26年、会員。戦後の「信州美術展」の開催に尽力、
      諏訪美術館設立のため講習会を行うなど郷土の美術振興に貢献。
昭和24年、県展審査員を務める。
      一貫して風景をテーマとし、骨太で力強く自然の躍動感・生命感を追い求めた。
昭和60年、茅野市美術館で遺作展が開催。

      




   「モレー風景」 6号 油彩


          絵寸法 41.0cm×31.8cm  額寸法 61.0cm×51.8cm

      


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山本 弘 『河童2』 3号 油彩 1980(50歳作)

      絵寸法 24.2cm×33.5cm  額寸法 39.0cm×48.0cm
昭和5年(1930)~昭和56年(1981)。51歳歿。豊丘村生まれ。
飯田市へ転居。昭和20年予科練に入ると言って上京、入隊しなかった様で、帰郷後、終戦。
戦後ヒロポン中毒に苦しみ、何度か自殺未遂を繰り返す。
帝国美術学校(現武蔵野美術大学)に入学、中退。池田龍雄らと交流。
菊華女子高等学校で開かれた第1回杉並文化展に出品。日本アンデパンダン展等に出品。
何度も自殺未遂を繰り返す。34歳で結婚、以後アルコール中毒に苦しみながら油彩を制作。
飯田市で何度も個展を開き、40歳代後半、アル中治療のため飯田病院へ二度入院するが完治せず。
最後の1年余の入院から退院後から間もなく自殺を遂げた。
死後、飯田市美術博物館に50点余が収蔵。
美術評論家の針生一郎にも絶賛、東京都京橋の東邦画廊で遺作展を繰り返し瀬木慎一。
ワシオトシヒコ等美術評論家より高い評価を受けた。
その後、銀座や日本橋の兜屋画廊、77ギャラリー、ギャラリー汲美、ギャラリーMoMo六本木、
ギャラリーゴトウ、戸村美術、ギャラリー403、銀座K'sギャラリー-an、道玄坂アートギャラリーで個展を開いている。

      


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織田広喜 『少女』 3号 油彩

  絵寸法 22.0cm×27.3cm  額寸法 39.2cm×44.2cm

大正3年(1914)~平成24年(2012) 98歳歿
福岡県千手村(現嘉麻市)に生まれる。
日本美術学校西洋画科卒業。二科会会員に推挙。渡仏。
二科展で総理大臣賞受賞・東郷青児賞受賞。パリで個展開催。勲四等瑞宝章受章。
日本芸術院賞・恩賜賞受賞。日本芸術院会員。碓井町立織田広喜美術館開館。
勲三等瑞宝章、フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。二科会理事長。

      



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 《 三木 登 》

1946年  須坂市に生まれる。
1982年  平川敏夫氏に師事。
1989年  ソビエト欧美国際展優秀賞。
2000年  創画会春期展受賞。
2001年  創画会賞受賞。秋野不矩天竜川絵画公募展準大賞受賞。
2002年  文化庁現代美術選抜展出品
2005年  創画会賞受賞。
2006年  創画会賞受賞。創画会会員に推挙。
 現 在   豊橋市在住




『』10号 岩彩

    絵寸法 53.0cm × 41.0cm  額寸法 73.0cm × 61.0cm




『深泉』10号 絹本

    絵寸法 52.8cm × 41.0cm  額寸法 72.6cm × 60.4cm

    




『雨音』10号 岩彩

    絵寸法 53.0cm × 40.9cm  額寸法 71.5cm × 59.1cm


    




『春耀』10号 岩彩

    絵寸法 45.5cm × 53.0cm  額寸法 65.7cm × 73.0cm


    




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高山 晃 「街並み」  8号 油彩

    絵寸法 38.0cm×45.4cm  額寸法 54.6cm×62.3cm

昭和6年(1931)~没年不詳

安曇野市三郷出身。武蔵美卒。
家業の文房具屋を継ぐ。
元信州美術会副会長 一虹会会長
アンデパンダン展・中信展・県展に出品。


    



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米谷 清和  『Hadson River』  2号  

               版画  7/10

         画寸法 20.0cm×14.3cm  額寸法 44.0cm×36.5cm

昭和22年(1947)福井県福井市に生まれる。横山操奨学金により渡欧。
第4回改組日展に初入選。*以後出品を重ねる。会員・年評議員。
多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。
個展(渋谷画廊、東京)。第9回改組日展で特選受賞。
第19回展で特選、第33回展で会員賞。
第1回東京セントラル美術館日本画大賞展で佳作賞受賞。
個展(資生堂ギャラリー、東京)。
多摩美術大学日本画科講師。
横の会結成に参加、第1回展に出品。第10回展まで出品し解散。
第8回山種美術館賞展で優秀賞受賞。
個展(有楽町アートフォーラム、東京、他)。
第3回具象絵画ビエンナーレ展。日本画-雨と余情(埼玉県立近代美術館)。
日本画-現代の視角(新潟市美術館)。両洋の眼展出品。
現代日本の屏風絵展(デュッセルドルフ州立フォルク・ウント・ヴィルトシャフト美術館、他)。
個展(北陸電力・エルフ福井)。多摩美術大学日本画科教授。個展(日本橋・髙島屋、他)。
日本画-純粋と越境展(練馬区立美術館)。
三鷹の原風景とその画家たち(三鷹市芸術文化センター)。個展(福井県立美術館)。



    




米谷 清和  『Night Light Ⅳ』  0号  

               版画  4/5

        画寸法 10.0cm×14.3cm  額寸法 36.5cm×44.0cm


    



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マリーローランサン 「ギターを持つ乙女」  8号

              
    リトグラフ  E.A.  絵寸法 40.6cm×48.0cm 額寸法 60.6cm×70.5cm

1883年~1956年
パリで私生児として生まれた。父はのちに代議士となったアルフレッド・トゥーレ。
母はコタンタン半島出身のポーリーヌ・メラニー・ローランサン。
リセ・ラマルティーヌに学び、アカデミー・アンベールで絵を勉強。
ここでジョルジュ・ブラックと知り合い、キュビスムの影響を受けた。
サロン・ド・アンデパンダンに初出展。モンマルトルで、パブロ・ピカソや詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールと知り合う。
31歳でドイツ人男爵と結婚。
ドイツ国籍となったため、第一次世界大戦が始まると、マドリード、次にバルセロナへの亡命生活を余儀なくされた。
戦後、離婚し単身パリに戻る。
パステルカラーの簡潔で華やかな、夢見るような少女像という独特の画風を作り上げ、フランス史上狂乱の時代と称された。
舞台装置や舞台衣装のデザインでも成功。
フランシス・プーランクのバレエ『牝鹿』や、オペラ=コミック座の『娘たちは何を夢みる』、
コメディ・フランセーズ、シャンゼリゼ劇場で上演されたローラン・プティのバレエなど。


      



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レイモンペイネ 「恋人たちの場所」 10号  

               
  リトグラフ 180/250   絵寸法  38.0cm×51.3cm  額寸法  64.0cm×79.1cm

1908年~1999年 90歳歿。パリに生まれる。
パリの産業装飾美術学校に入学し、絵の基礎や技術を習得。学校を首席で卒業。
イラストレーター・デザイナーとして働き、そこではチョコレートの箱から香水まで、幅広い仕事を手掛ける。
五歳年上の女性、ドゥニーズ・ダムールと結婚。
「自分たち夫妻が、ペイネの恋人たちのモデルである」。
フランスの英字新聞に挿絵が掲載され一躍名声を得る。
雑誌「リック・エ・ラック」に「ペイネの恋人たち・シリーズ」の連載が開始され、彼の代表作となる。
ブリュッセル万国博において都市計画館の装飾を手がける。
フランスにて芸術・文芸勲章を受章し、彼が晩年の20年を過ごした南仏・アンチーブにペイネ美術館が開館。
ペイネの母の故郷ブラサック・レ・ミンヌにもペイネ美術館が作られる。
1986年には長野県北佐久郡軽井沢町にペイネ美術館が開館。


        


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無名『抽象画』油彩

    絵寸法 60.8cm × 45.5cm   額寸法 63.8cm × 56.2cm



  

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《 佐野光穂 》

明治29年(1896)~昭和35年(1960)65歳没
町田曲江・菊地契月・西山翠嶂・富田渓仙に師事。
別号は省峰、契明、泥牛、欣二郎、晃林。
中野市金井に生まれる。院展に出品。
山ノ内町へ疎開、京都に移る。

「 雪 晨 」 尺三寸 絹本 共箱

        


「香魚」尺三寸 絹本 共箱


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 矢沢 弦月 『竹林高士図』 尺五寸 絹本

        絵寸法 40.8cm×126.0cm  軸寸法 54.0cm×198.8cm

明治19年(1886)~昭和27年(1952) 66歳没。
諏訪市生まれ。東京美術学校を首席卒業。
本名は貞則。寺崎広業に師事。文展・帝展。
帝展審査員。長野県展審査員。日展審査員。

       


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山口玲凞『山百合』尺八寸横物 絹本 共箱

        絵寸法 50.3cm×39.2cm  軸寸法 65.2cm×139.0cm
                
明治27年(1894)~昭和54年(1979) 84歳歿
京都出身。本名は松之助。山口華楊(かよう)の兄。菊池芳文・菊池契月に師事。
大正元年「今朝の秋」で文展初入選,以後も官展を中心に活躍,おもに花鳥をえがいた。
戦後は昭和22年第3回から入選、25年から依嘱出品以後改組日展にも依嘱出品を続ける。
昭和39年京都小御所の襖絵(ふすまえ)を制作。作品はほかに「閑光」「芥子」など。
神奈川県鎌倉市に転居し、画作のかたわら俳句をよくする。

    


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福田 翠光 『一笑』 尺八寸横物 絹本 共箱

      絵寸法 50.3cm×44.8cm  軸寸法 64.5cm×137.5cm


明治28年(1895)~昭和48年(1973) 77歳歿
京都嵯峨生まれ。京都市立芸術大学を卒業すると、西山翠嶂の青甲社に所属。
第7回帝展に初入選、戦後も青甲社展・帝展・日展を中心に活躍し、以来多くの作品で入選・得選を果たす。
昭和33年には、写実的な技法に定評のあった徳岡神泉に師事し、鷹の名手として功名をあげる。

    


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町田曲江『蓬莱仙境図』尺五寸 絹本

    絵寸法 42.0cm × 128.5cm  軸寸法 56.0cm × 209.5cm


明治12年(1879)~昭和42年(1967) 89歳没
中野市に生まれる。本名は春之助。児玉果亭・菊地契月・内海吉堂・寺崎廣業に師事。
東洋美術への回帰。帝展委員に推薦、無鑑査。明治神宮絵画館の壁画揮毫。
信州美術会長を務め発展に尽くす。日本画院再興に尽力、同人。
仏教説話に画題をとり、西洋写実技法とイタリアフィレンツエ派の淡い色調を伝統的な
日本画の技法で独自の新古典的画境を見いだす。


        



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『池上秀畝名品展』




明治7年(1874)~昭和19年(1944) 70歳歿
伊那市高遠に紙商兼小間物屋の次男として生れる。本名は國三郎。
祖父池上休柳は、高遠藩・御用絵師に狩野派を学び、自らの画論『松柳問答』を刊行。
父池上秀華も、岡本豊彦から四条派を学び、俳句や短歌を詠み、茶道や華道に凝る。
秀畝の自伝で、生まれた時からこの様な環境で、絵の描き方を自然に覚えたと語っている。
明治21年頃には、「國山」の号を用いる。
明治22年、15歳で小学校を卒業後、父と共に上京。
瀧和亭、川辺御楯を訪ねるが父は気に入らず、当時無名だった荒木寛畝の最初の門人・
内弟子となり文人画を学ぶ。
一時は洋画も研究する。明治39年、同じ門下生の大岡豊子(緑畝)と結婚。
明治40年正派同志会第1回展で二等銀牌、3年連続で文展特選。大正8年、帝展で無鑑査。
昭和8年、帝展審査員。伝神洞画塾を主宰し後進の指導に尽力。
晩年になっても力作を次々と発表。
昭和25年、伊那公園に、池上家三代の絵師を顕彰する『画人三代碑』が建てられた。



『波涛飛鶴図』 尺五寸 絹本

    絵寸法 40.7cm × 125.6cm  軸寸法 53.8cm × 209.4cm

      



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川船水棹



明治20年(1884)~昭和55年(1980)94歳歿。
松本藩士の三男で東京に生まれる。
小堀鞆音に師事。文展・帝展入選を続ける。
一時、松本に居住、その後上京。安田靫彦らと朱弦会結成。
長野市に疎開、画塾青芽会を開設し後進を指導。
伊東深水・奥村土牛・矢沢弦月らと「全信州美術会」結成。
県展の設立運営に参画、審査員を務める。
土佐派を継承する武者絵は正確な時代考証がされ臨場感を表す。
花鳥画・風景画も得意とした。



川船水棹『春渓雨後』 尺五寸 絹本 共箱

    絵寸法 42.2cm × 128.2cm  軸寸法 54.9cm × 213.2cm


      




川船水棹『深秋』 尺八寸横物 絹本 共箱

    絵寸法 50.3cm × 44.5cm  軸寸法 65.0cm × 142.5cm



    


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鈴木三朝『清流渓谷』尺五寸 紙本 共箱

    絵寸法 42.5cm × 115.0cm  額寸法 56.2cm × 194.0cm

明治32年(1899)~平成9年(1997) 98歳歿。
三重県津市に生まれる。池上秀畝・荒井寛方に師事。
第14回・第19回日本美術院展に入選。この時から雅号を「兆皓」から「三朝」に改める。
文部省嘱託・法隆寺金堂壁画の保存模写事業が始まる。荒井寛方の助手として従事。
第二号小壁・菩薩、第十号大壁・薬師浄土。浜松に居を定める。
荒井寛方の不慮の死で、法隆寺金堂壁画模写荒井班の主任代理を務める。
院展特待。

      



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《 滝川 太郎 》 

明治36年(1903)~昭和45年(1970) 67歳歿
松本市天神(現在の松本市深志2丁目付近)生まれ。
開智小学校卒業後、松本市縄手のそば屋「弁天楼」に住み込みで働く。
上京し太平洋画会研究所に学ぶ。二科展に入選。
渡仏。帰国、松本駅前農業会館で帰朝記念展。
一水会展で岩倉具方賞を受賞。一水会会員。
脳溢血で右手が不自由、以後は左手で制作。

①『酒筵之図』 半切 紙本

   絵寸法 32.8cm×133.5cm  軸寸法 43.2cm×208.2cm

          


『 酒 筵 』の意味
*旅の土ぼこりを落 とす宴席。
*宴を設けて遠来の 客をもてなすこと。


②『観月之図』 半切 紙本

   絵寸法 32.8cm×132.8cm  軸寸法 43.5cm×199.3cm



          


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