*************************************************************
矢崎牧廣『石廊崎』6号 油彩
絵寸法 41.0cm × 31.8cm 額寸法 61.0cm × 51.8cm
明治38年(1905)~昭和58年(1983) 77歳歿
茅野市上原生まれ。岸田劉生の作品展を見て画家を志し、大正13年上京して林武に師事。
協会展、二科展などに入選、独立美術協会展には第1回展から出品。
昭和18年「ハルピン風景(一)・(二)」にて独立美術協会賞を受賞。
昭和26年、会員。戦後の「信州美術展」の開催に尽力、
諏訪美術館設立のため講習会を行うなど郷土の美術振興に貢献。
昭和24年、県展審査員を務める。
一貫して風景をテーマとし、骨太で力強く自然の躍動感・生命感を追い求めた。
昭和60年、茅野市美術館で遺作展が開催。
「モレー風景」 6号 油彩
絵寸法 41.0cm×31.8cm 額寸法 61.0cm×51.8cm
*************************************************************
山本 弘 『河童2』 3号 油彩 1980(50歳作)
絵寸法 24.2cm×33.5cm 額寸法 39.0cm×48.0cm
昭和5年(1930)~昭和56年(1981)。51歳歿。豊丘村生まれ。
飯田市へ転居。昭和20年予科練に入ると言って上京、入隊しなかった様で、帰郷後、終戦。
戦後ヒロポン中毒に苦しみ、何度か自殺未遂を繰り返す。
帝国美術学校(現武蔵野美術大学)に入学、中退。池田龍雄らと交流。
菊華女子高等学校で開かれた第1回杉並文化展に出品。日本アンデパンダン展等に出品。
何度も自殺未遂を繰り返す。34歳で結婚、以後アルコール中毒に苦しみながら油彩を制作。
飯田市で何度も個展を開き、40歳代後半、アル中治療のため飯田病院へ二度入院するが完治せず。
最後の1年余の入院から退院後から間もなく自殺を遂げた。
死後、飯田市美術博物館に50点余が収蔵。
美術評論家の針生一郎にも絶賛、東京都京橋の東邦画廊で遺作展を繰り返し瀬木慎一。
ワシオトシヒコ等美術評論家より高い評価を受けた。
その後、銀座や日本橋の兜屋画廊、77ギャラリー、ギャラリー汲美、ギャラリーMoMo六本木、
ギャラリーゴトウ、戸村美術、ギャラリー403、銀座K'sギャラリー-an、道玄坂アートギャラリーで個展を開いている。
*************************************************************
織田広喜 『少女』 3号 油彩
絵寸法 22.0cm×27.3cm 額寸法 39.2cm×44.2cm
大正3年(1914)~平成24年(2012) 98歳歿
福岡県千手村(現嘉麻市)に生まれる。
日本美術学校西洋画科卒業。二科会会員に推挙。渡仏。
二科展で総理大臣賞受賞・東郷青児賞受賞。パリで個展開催。勲四等瑞宝章受章。
日本芸術院賞・恩賜賞受賞。日本芸術院会員。碓井町立織田広喜美術館開館。
勲三等瑞宝章、フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。二科会理事長。
*************************************************************
《 三木 登 》
1946年 須坂市に生まれる。
1982年 平川敏夫氏に師事。
1989年 ソビエト欧美国際展優秀賞。
2000年 創画会春期展受賞。
2001年 創画会賞受賞。秋野不矩天竜川絵画公募展準大賞受賞。
2002年 文化庁現代美術選抜展出品
2005年 創画会賞受賞。
2006年 創画会賞受賞。創画会会員に推挙。
現 在 豊橋市在住
『』10号 岩彩
絵寸法 53.0cm × 41.0cm 額寸法 73.0cm × 61.0cm
『深泉』10号 絹本
絵寸法 52.8cm × 41.0cm 額寸法 72.6cm × 60.4cm
『雨音』10号 岩彩
絵寸法 53.0cm × 40.9cm 額寸法 71.5cm × 59.1cm
『春耀』10号 岩彩
絵寸法 45.5cm × 53.0cm 額寸法 65.7cm × 73.0cm
*************************************************************
高山 晃 「街並み」 8号 油彩
絵寸法 38.0cm×45.4cm 額寸法 54.6cm×62.3cm
昭和6年(1931)~没年不詳
安曇野市三郷出身。武蔵美卒。
家業の文房具屋を継ぐ。
元信州美術会副会長 一虹会会長
アンデパンダン展・中信展・県展に出品。
*************************************************************
*************************************************************
米谷 清和 『Hadson River』 2号
版画 7/10
画寸法 20.0cm×14.3cm 額寸法 44.0cm×36.5cm
昭和22年(1947)福井県福井市に生まれる。横山操奨学金により渡欧。
第4回改組日展に初入選。*以後出品を重ねる。会員・年評議員。
多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。
個展(渋谷画廊、東京)。第9回改組日展で特選受賞。
第19回展で特選、第33回展で会員賞。
第1回東京セントラル美術館日本画大賞展で佳作賞受賞。
個展(資生堂ギャラリー、東京)。
多摩美術大学日本画科講師。
横の会結成に参加、第1回展に出品。第10回展まで出品し解散。
第8回山種美術館賞展で優秀賞受賞。
個展(有楽町アートフォーラム、東京、他)。
第3回具象絵画ビエンナーレ展。日本画-雨と余情(埼玉県立近代美術館)。
日本画-現代の視角(新潟市美術館)。両洋の眼展出品。
現代日本の屏風絵展(デュッセルドルフ州立フォルク・ウント・ヴィルトシャフト美術館、他)。
個展(北陸電力・エルフ福井)。多摩美術大学日本画科教授。個展(日本橋・髙島屋、他)。
日本画-純粋と越境展(練馬区立美術館)。
三鷹の原風景とその画家たち(三鷹市芸術文化センター)。個展(福井県立美術館)。
米谷 清和 『Night Light Ⅳ』 0号
版画 4/5
画寸法 10.0cm×14.3cm 額寸法 36.5cm×44.0cm
*************************************************************
マリーローランサン 「ギターを持つ乙女」 8号
リトグラフ E.A. 絵寸法 40.6cm×48.0cm 額寸法 60.6cm×70.5cm
1883年~1956年
パリで私生児として生まれた。父はのちに代議士となったアルフレッド・トゥーレ。
母はコタンタン半島出身のポーリーヌ・メラニー・ローランサン。
リセ・ラマルティーヌに学び、アカデミー・アンベールで絵を勉強。
ここでジョルジュ・ブラックと知り合い、キュビスムの影響を受けた。
サロン・ド・アンデパンダンに初出展。モンマルトルで、パブロ・ピカソや詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールと知り合う。
31歳でドイツ人男爵と結婚。
ドイツ国籍となったため、第一次世界大戦が始まると、マドリード、次にバルセロナへの亡命生活を余儀なくされた。
戦後、離婚し単身パリに戻る。
パステルカラーの簡潔で華やかな、夢見るような少女像という独特の画風を作り上げ、フランス史上狂乱の時代と称された。
舞台装置や舞台衣装のデザインでも成功。
フランシス・プーランクのバレエ『牝鹿』や、オペラ=コミック座の『娘たちは何を夢みる』、
コメディ・フランセーズ、シャンゼリゼ劇場で上演されたローラン・プティのバレエなど。
*************************************************************
レイモンペイネ 「恋人たちの場所」 10号
リトグラフ 180/250 絵寸法 38.0cm×51.3cm 額寸法 64.0cm×79.1cm
1908年~1999年 90歳歿。パリに生まれる。
パリの産業装飾美術学校に入学し、絵の基礎や技術を習得。学校を首席で卒業。
イラストレーター・デザイナーとして働き、そこではチョコレートの箱から香水まで、幅広い仕事を手掛ける。
五歳年上の女性、ドゥニーズ・ダムールと結婚。
「自分たち夫妻が、ペイネの恋人たちのモデルである」。
フランスの英字新聞に挿絵が掲載され一躍名声を得る。
雑誌「リック・エ・ラック」に「ペイネの恋人たち・シリーズ」の連載が開始され、彼の代表作となる。
ブリュッセル万国博において都市計画館の装飾を手がける。
フランスにて芸術・文芸勲章を受章し、彼が晩年の20年を過ごした南仏・アンチーブにペイネ美術館が開館。
ペイネの母の故郷ブラサック・レ・ミンヌにもペイネ美術館が作られる。
1986年には長野県北佐久郡軽井沢町にペイネ美術館が開館。
*************************************************************
無名『抽象画』油彩
矢崎牧廣『石廊崎』6号 油彩
絵寸法 41.0cm × 31.8cm 額寸法 61.0cm × 51.8cm
明治38年(1905)~昭和58年(1983) 77歳歿
茅野市上原生まれ。岸田劉生の作品展を見て画家を志し、大正13年上京して林武に師事。
協会展、二科展などに入選、独立美術協会展には第1回展から出品。
昭和18年「ハルピン風景(一)・(二)」にて独立美術協会賞を受賞。
昭和26年、会員。戦後の「信州美術展」の開催に尽力、
諏訪美術館設立のため講習会を行うなど郷土の美術振興に貢献。
昭和24年、県展審査員を務める。
一貫して風景をテーマとし、骨太で力強く自然の躍動感・生命感を追い求めた。
昭和60年、茅野市美術館で遺作展が開催。
「モレー風景」 6号 油彩
絵寸法 41.0cm×31.8cm 額寸法 61.0cm×51.8cm
*************************************************************
山本 弘 『河童2』 3号 油彩 1980(50歳作)
絵寸法 24.2cm×33.5cm 額寸法 39.0cm×48.0cm
昭和5年(1930)~昭和56年(1981)。51歳歿。豊丘村生まれ。
飯田市へ転居。昭和20年予科練に入ると言って上京、入隊しなかった様で、帰郷後、終戦。
戦後ヒロポン中毒に苦しみ、何度か自殺未遂を繰り返す。
帝国美術学校(現武蔵野美術大学)に入学、中退。池田龍雄らと交流。
菊華女子高等学校で開かれた第1回杉並文化展に出品。日本アンデパンダン展等に出品。
何度も自殺未遂を繰り返す。34歳で結婚、以後アルコール中毒に苦しみながら油彩を制作。
飯田市で何度も個展を開き、40歳代後半、アル中治療のため飯田病院へ二度入院するが完治せず。
最後の1年余の入院から退院後から間もなく自殺を遂げた。
死後、飯田市美術博物館に50点余が収蔵。
美術評論家の針生一郎にも絶賛、東京都京橋の東邦画廊で遺作展を繰り返し瀬木慎一。
ワシオトシヒコ等美術評論家より高い評価を受けた。
その後、銀座や日本橋の兜屋画廊、77ギャラリー、ギャラリー汲美、ギャラリーMoMo六本木、
ギャラリーゴトウ、戸村美術、ギャラリー403、銀座K'sギャラリー-an、道玄坂アートギャラリーで個展を開いている。
*************************************************************
織田広喜 『少女』 3号 油彩
絵寸法 22.0cm×27.3cm 額寸法 39.2cm×44.2cm
大正3年(1914)~平成24年(2012) 98歳歿
福岡県千手村(現嘉麻市)に生まれる。
日本美術学校西洋画科卒業。二科会会員に推挙。渡仏。
二科展で総理大臣賞受賞・東郷青児賞受賞。パリで個展開催。勲四等瑞宝章受章。
日本芸術院賞・恩賜賞受賞。日本芸術院会員。碓井町立織田広喜美術館開館。
勲三等瑞宝章、フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。二科会理事長。
*************************************************************
《 三木 登 》
1946年 須坂市に生まれる。
1982年 平川敏夫氏に師事。
1989年 ソビエト欧美国際展優秀賞。
2000年 創画会春期展受賞。
2001年 創画会賞受賞。秋野不矩天竜川絵画公募展準大賞受賞。
2002年 文化庁現代美術選抜展出品
2005年 創画会賞受賞。
2006年 創画会賞受賞。創画会会員に推挙。
現 在 豊橋市在住
『』10号 岩彩
絵寸法 53.0cm × 41.0cm 額寸法 73.0cm × 61.0cm
『深泉』10号 絹本
絵寸法 52.8cm × 41.0cm 額寸法 72.6cm × 60.4cm
『雨音』10号 岩彩
絵寸法 53.0cm × 40.9cm 額寸法 71.5cm × 59.1cm
『春耀』10号 岩彩
絵寸法 45.5cm × 53.0cm 額寸法 65.7cm × 73.0cm
*************************************************************
高山 晃 「街並み」 8号 油彩
絵寸法 38.0cm×45.4cm 額寸法 54.6cm×62.3cm
昭和6年(1931)~没年不詳
安曇野市三郷出身。武蔵美卒。
家業の文房具屋を継ぐ。
元信州美術会副会長 一虹会会長
アンデパンダン展・中信展・県展に出品。
*************************************************************
*************************************************************
米谷 清和 『Hadson River』 2号
版画 7/10
画寸法 20.0cm×14.3cm 額寸法 44.0cm×36.5cm
昭和22年(1947)福井県福井市に生まれる。横山操奨学金により渡欧。
第4回改組日展に初入選。*以後出品を重ねる。会員・年評議員。
多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。
個展(渋谷画廊、東京)。第9回改組日展で特選受賞。
第19回展で特選、第33回展で会員賞。
第1回東京セントラル美術館日本画大賞展で佳作賞受賞。
個展(資生堂ギャラリー、東京)。
多摩美術大学日本画科講師。
横の会結成に参加、第1回展に出品。第10回展まで出品し解散。
第8回山種美術館賞展で優秀賞受賞。
個展(有楽町アートフォーラム、東京、他)。
第3回具象絵画ビエンナーレ展。日本画-雨と余情(埼玉県立近代美術館)。
日本画-現代の視角(新潟市美術館)。両洋の眼展出品。
現代日本の屏風絵展(デュッセルドルフ州立フォルク・ウント・ヴィルトシャフト美術館、他)。
個展(北陸電力・エルフ福井)。多摩美術大学日本画科教授。個展(日本橋・髙島屋、他)。
日本画-純粋と越境展(練馬区立美術館)。
三鷹の原風景とその画家たち(三鷹市芸術文化センター)。個展(福井県立美術館)。
米谷 清和 『Night Light Ⅳ』 0号
版画 4/5
画寸法 10.0cm×14.3cm 額寸法 36.5cm×44.0cm
*************************************************************
マリーローランサン 「ギターを持つ乙女」 8号
リトグラフ E.A. 絵寸法 40.6cm×48.0cm 額寸法 60.6cm×70.5cm
1883年~1956年
パリで私生児として生まれた。父はのちに代議士となったアルフレッド・トゥーレ。
母はコタンタン半島出身のポーリーヌ・メラニー・ローランサン。
リセ・ラマルティーヌに学び、アカデミー・アンベールで絵を勉強。
ここでジョルジュ・ブラックと知り合い、キュビスムの影響を受けた。
サロン・ド・アンデパンダンに初出展。モンマルトルで、パブロ・ピカソや詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールと知り合う。
31歳でドイツ人男爵と結婚。
ドイツ国籍となったため、第一次世界大戦が始まると、マドリード、次にバルセロナへの亡命生活を余儀なくされた。
戦後、離婚し単身パリに戻る。
パステルカラーの簡潔で華やかな、夢見るような少女像という独特の画風を作り上げ、フランス史上狂乱の時代と称された。
舞台装置や舞台衣装のデザインでも成功。
フランシス・プーランクのバレエ『牝鹿』や、オペラ=コミック座の『娘たちは何を夢みる』、
コメディ・フランセーズ、シャンゼリゼ劇場で上演されたローラン・プティのバレエなど。
*************************************************************
レイモンペイネ 「恋人たちの場所」 10号
リトグラフ 180/250 絵寸法 38.0cm×51.3cm 額寸法 64.0cm×79.1cm
1908年~1999年 90歳歿。パリに生まれる。
パリの産業装飾美術学校に入学し、絵の基礎や技術を習得。学校を首席で卒業。
イラストレーター・デザイナーとして働き、そこではチョコレートの箱から香水まで、幅広い仕事を手掛ける。
五歳年上の女性、ドゥニーズ・ダムールと結婚。
「自分たち夫妻が、ペイネの恋人たちのモデルである」。
フランスの英字新聞に挿絵が掲載され一躍名声を得る。
雑誌「リック・エ・ラック」に「ペイネの恋人たち・シリーズ」の連載が開始され、彼の代表作となる。
ブリュッセル万国博において都市計画館の装飾を手がける。
フランスにて芸術・文芸勲章を受章し、彼が晩年の20年を過ごした南仏・アンチーブにペイネ美術館が開館。
ペイネの母の故郷ブラサック・レ・ミンヌにもペイネ美術館が作られる。
1986年には長野県北佐久郡軽井沢町にペイネ美術館が開館。
*************************************************************
無名『抽象画』油彩
COMMENT