~ホームページをご覧頂いた方~
寒さが厳しい季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
こんな時だからこそ、
一枚の絵を眺めて、日々の生活が癒やされれば良いですね。
『 画廊は、敷居は高いが、でも癒やされる 』
そんな画廊が、だいこく画廊です。
是非一度、ご来廊してみて下さい!
満足して頂けます。
こんな時だからこそ、絵を眺めるも良し、話をするも良し、ストレス
解消するも良し、そんな場所にして頂き少しでも明るい気持ちでお過ご
し頂ければと思います。くれぐれも無理をせずご自愛下さい。
***********************************************************
おかげさまで『創業22年!大感謝祭』
~日本画・掛軸・洋画・版画~
会期 4月12日(土)~13日(日) 午前10時~午後5時
会場 有限会社だいこく画廊 ギャラリー内
TEL (0266)54ー2858
気になる作品・価格の値引きなど、お気軽にお問い合わせ下さい。
*************************************************************
滝沢具幸 『 原 野 』 40号 岩彩
絵寸法 100.0cm×80.3cm 額寸法 123.0cm×103.0cm
昭和16年(1941) 飯田市生まれ。
東京芸術大学大学院修了。
第23回新制作協会日本画部新作家賞。
第1回創画展創画会賞。
第1回東京春季創画展春季展賞。
第3回東京春季創画展春季展賞。創画会会員。
第17回MOA美術館岡田茂吉賞。
第8回山種美術館賞展優秀賞。
飯田美術博物館館長歴任。武蔵美教授。

*************************************************************
佐々木 裕而
昭和26年(1951)~令和5年(2023)71歳没。
北海道出身。安宅賞受賞(芸大学内賞)・東京芸術大学大学院専攻終了。
グループ展、双美会展・行人社展に出品(以後毎回)。
新宿住友ビルミニチュア日本画大賞展・住友ビル賞受賞。
東京セントラル美術館日本画大賞展出品。東京資生堂ギャラリーで個展。
高島屋日本橋店で個展。東京セントラル美術館日本画大賞展招待出品。
栗田美術館で個展。増上寺天井画制作。
日本経済新聞ファミリーカレンダー原画。
ロシア日本の美展。東日本大震災復興チャリティー・アート展。
『早暁凍蹊 』 30号 岩彩
2005年 日本橋三越本店個展 出展作品(NO.4)
絵寸法 90.3cm×60.5cm 額寸法 112.8cm×82.6cm

*************************************************************
宮坂勝 『静物』 4号 油彩
昭和26年 1月 絵寸法 33.3cm×24.2cm 額寸法 51.3m×42.2cm
明治28年(1895)~昭和28年(1953)58歳歿。
南安曇郡倭村(現:松本市)生まれ。
旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)を経て大正8年東京美術学校(現:東京藝術大学)西洋画科卒業。
大正12年フランスに留学し、アカデミー ・モデルヌ(英語版)でオトン・フリエスに師事、昭和2年帰国。
母校中学の美術教師となった。 その後国画創作協会展(国画会)に作品の出品を勧められ出品。
第6回展にて奨励賞を受賞、同会会員となる。
昭和6年帝国美術学校(現:武蔵野美術大学)教授となり、後進の指導とともに、油絵の普及に努めた。
昭和20年第二次世界大戦の東京大空襲で東京の自宅を焼失し、生家へ疎開。昭和21年第1と第2回日展で特選を受賞。
同年、信州美術会(長野県美術展(県展)の団体)を結成し幹事、審査員となり、郷里の美術の発展に尽くした。
昭和28年、松本市から地方文化向上への功績に功労賞を贈られた。
*************************************************************
中川紀元 『白馬雪旦』 10号 油彩
昭和42年(1967年)76歳作 絵寸法 52.9cm×45.5cm 額寸法 73.0m×65.6cm
明治25年(1892)~昭和47年(1972)81歳没。
辰野町生まれ。本名は紀元次。東京美術学校彫塑科。石井柏亭、正宗得三郎、マチスに師事。
二紀会結成。第一回長野県展審査員。日本芸術院恩賜賞受賞。辰野町名誉町民。

*************************************************************
池上秀畝作品
明治7年(1874)~昭和19年(1944)70歳歿
伊那市高遠に紙商兼小間物屋の次男として生れる。本名は國三郎。
祖父池上休柳は、高遠藩・御用絵師に狩野派を学び、慶応2年には自らの画論『松柳問答』を刊行。
父池上秀華も、岡本豊彦から四条派を学び、祖父と同様、俳句や短歌を詠み、茶道や華道に凝る。
秀畝が口述筆記させた自伝では、生まれた時からこのような環境だったので、絵の描き方を自然に覚えたと語っている。
明治21年頃には、自ら「國山」の号を用いる。明治22年、15歳で小学校を卒業後、父と共に上京。
瀧和亭、川辺御楯を訪ねるが父は気に入らず、当時無名だった荒木寛畝の最初の門人・内弟子となり文人画を学ぶ。
一時は洋画も研究する。明治39年、同じ門下生の大岡豊子(緑畝)と結婚。
明治40年正派同志会第1回展で二等銀牌、翌年の文展で初入選。
3年連続で文展特選。大正8年、帝展で無鑑査。昭和8年、帝展審査員。伝神洞画塾を主宰し後進の指導に尽力。
晩年になっても力作を次々と発表。
昭和25年、伊那公園に、池上家三代の絵師を顕彰する『画人三代碑』が建てられた。
池上秀畝 『郭子儀』 尺五寸 絹本 共箱
明治39年(1906年)32歳作
絵寸法 42.1cm×111.2cm 軸寸法 56.5cm×218.5cm

*************************************************************
江崎孝坪 『晴日』 二尺二寸横物 紙本 共箱
絵寸法 65.3cm×53.7cm 軸寸法 81.2cm×158.0cm
明治37年(1904)~昭和38年(1963) 71歳歿
上伊那郡高遠町(現・伊那市)出身。本名は孝平。歴史人物画を得意とした。
呉服商で図案を描いて生計を立て、日本画家の蔦谷龍岬に大和絵を学んだ。
昭和2年、第8回帝展で「晩秋」が初入選。
昭和8年に龍岬が死去後、前田青邨に師事。
昭和15年に大礼記念京都美術館で開催された日本画大展覧会では、「雲と防人」が大毎・東日賞を受賞。
昭和16年の第4回新文展では「撃て」が特選。
昭和22年の第3回日展では「像造」が特選。
戦後には大仏次郎著『乞食大将』、吉川英治著『太閤記』、井上靖著『風と雲と砦』『真田軍記』『風林火山』に挿絵を描いたり、
黒澤明監督の映画『七人の侍』で衣装考証を担当したり、歌舞伎「新忠臣蔵」で舞台装置を製作するなど、芸術界で幅広く活躍した。
『七人の侍』では第29回アカデミー賞で衣裳デザイン賞にノミネートされている。
高遠にある菩提寺の建福寺へ、昭和25年に第6回日展に出品した『薬師』を寄贈。
*************************************************************
寒さが厳しい季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
こんな時だからこそ、
一枚の絵を眺めて、日々の生活が癒やされれば良いですね。
『 画廊は、敷居は高いが、でも癒やされる 』
そんな画廊が、だいこく画廊です。
是非一度、ご来廊してみて下さい!
満足して頂けます。
こんな時だからこそ、絵を眺めるも良し、話をするも良し、ストレス
解消するも良し、そんな場所にして頂き少しでも明るい気持ちでお過ご
し頂ければと思います。くれぐれも無理をせずご自愛下さい。
***********************************************************
おかげさまで『創業22年!大感謝祭』
~日本画・掛軸・洋画・版画~
会期 4月12日(土)~13日(日) 午前10時~午後5時
会場 有限会社だいこく画廊 ギャラリー内
TEL (0266)54ー2858
気になる作品・価格の値引きなど、お気軽にお問い合わせ下さい。
*************************************************************
滝沢具幸 『 原 野 』 40号 岩彩
絵寸法 100.0cm×80.3cm 額寸法 123.0cm×103.0cm
昭和16年(1941) 飯田市生まれ。
東京芸術大学大学院修了。
第23回新制作協会日本画部新作家賞。
第1回創画展創画会賞。
第1回東京春季創画展春季展賞。
第3回東京春季創画展春季展賞。創画会会員。
第17回MOA美術館岡田茂吉賞。
第8回山種美術館賞展優秀賞。
飯田美術博物館館長歴任。武蔵美教授。
*************************************************************
佐々木 裕而
昭和26年(1951)~令和5年(2023)71歳没。
北海道出身。安宅賞受賞(芸大学内賞)・東京芸術大学大学院専攻終了。
グループ展、双美会展・行人社展に出品(以後毎回)。
新宿住友ビルミニチュア日本画大賞展・住友ビル賞受賞。
東京セントラル美術館日本画大賞展出品。東京資生堂ギャラリーで個展。
高島屋日本橋店で個展。東京セントラル美術館日本画大賞展招待出品。
栗田美術館で個展。増上寺天井画制作。
日本経済新聞ファミリーカレンダー原画。
ロシア日本の美展。東日本大震災復興チャリティー・アート展。
『早暁凍蹊 』 30号 岩彩
2005年 日本橋三越本店個展 出展作品(NO.4)
絵寸法 90.3cm×60.5cm 額寸法 112.8cm×82.6cm
*************************************************************
宮坂勝 『静物』 4号 油彩
昭和26年 1月 絵寸法 33.3cm×24.2cm 額寸法 51.3m×42.2cm
明治28年(1895)~昭和28年(1953)58歳歿。
南安曇郡倭村(現:松本市)生まれ。
旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)を経て大正8年東京美術学校(現:東京藝術大学)西洋画科卒業。
大正12年フランスに留学し、アカデミー ・モデルヌ(英語版)でオトン・フリエスに師事、昭和2年帰国。
母校中学の美術教師となった。 その後国画創作協会展(国画会)に作品の出品を勧められ出品。
第6回展にて奨励賞を受賞、同会会員となる。
昭和6年帝国美術学校(現:武蔵野美術大学)教授となり、後進の指導とともに、油絵の普及に努めた。
昭和20年第二次世界大戦の東京大空襲で東京の自宅を焼失し、生家へ疎開。昭和21年第1と第2回日展で特選を受賞。
同年、信州美術会(長野県美術展(県展)の団体)を結成し幹事、審査員となり、郷里の美術の発展に尽くした。
昭和28年、松本市から地方文化向上への功績に功労賞を贈られた。
*************************************************************
中川紀元 『白馬雪旦』 10号 油彩
昭和42年(1967年)76歳作 絵寸法 52.9cm×45.5cm 額寸法 73.0m×65.6cm
明治25年(1892)~昭和47年(1972)81歳没。
辰野町生まれ。本名は紀元次。東京美術学校彫塑科。石井柏亭、正宗得三郎、マチスに師事。
二紀会結成。第一回長野県展審査員。日本芸術院恩賜賞受賞。辰野町名誉町民。
*************************************************************
池上秀畝作品
明治7年(1874)~昭和19年(1944)70歳歿
伊那市高遠に紙商兼小間物屋の次男として生れる。本名は國三郎。
祖父池上休柳は、高遠藩・御用絵師に狩野派を学び、慶応2年には自らの画論『松柳問答』を刊行。
父池上秀華も、岡本豊彦から四条派を学び、祖父と同様、俳句や短歌を詠み、茶道や華道に凝る。
秀畝が口述筆記させた自伝では、生まれた時からこのような環境だったので、絵の描き方を自然に覚えたと語っている。
明治21年頃には、自ら「國山」の号を用いる。明治22年、15歳で小学校を卒業後、父と共に上京。
瀧和亭、川辺御楯を訪ねるが父は気に入らず、当時無名だった荒木寛畝の最初の門人・内弟子となり文人画を学ぶ。
一時は洋画も研究する。明治39年、同じ門下生の大岡豊子(緑畝)と結婚。
明治40年正派同志会第1回展で二等銀牌、翌年の文展で初入選。
3年連続で文展特選。大正8年、帝展で無鑑査。昭和8年、帝展審査員。伝神洞画塾を主宰し後進の指導に尽力。
晩年になっても力作を次々と発表。
昭和25年、伊那公園に、池上家三代の絵師を顕彰する『画人三代碑』が建てられた。
池上秀畝 『郭子儀』 尺五寸 絹本 共箱
明治39年(1906年)32歳作
絵寸法 42.1cm×111.2cm 軸寸法 56.5cm×218.5cm
*************************************************************
江崎孝坪 『晴日』 二尺二寸横物 紙本 共箱
絵寸法 65.3cm×53.7cm 軸寸法 81.2cm×158.0cm
明治37年(1904)~昭和38年(1963) 71歳歿
上伊那郡高遠町(現・伊那市)出身。本名は孝平。歴史人物画を得意とした。
呉服商で図案を描いて生計を立て、日本画家の蔦谷龍岬に大和絵を学んだ。
昭和2年、第8回帝展で「晩秋」が初入選。
昭和8年に龍岬が死去後、前田青邨に師事。
昭和15年に大礼記念京都美術館で開催された日本画大展覧会では、「雲と防人」が大毎・東日賞を受賞。
昭和16年の第4回新文展では「撃て」が特選。
昭和22年の第3回日展では「像造」が特選。
戦後には大仏次郎著『乞食大将』、吉川英治著『太閤記』、井上靖著『風と雲と砦』『真田軍記』『風林火山』に挿絵を描いたり、
黒澤明監督の映画『七人の侍』で衣装考証を担当したり、歌舞伎「新忠臣蔵」で舞台装置を製作するなど、芸術界で幅広く活躍した。
『七人の侍』では第29回アカデミー賞で衣裳デザイン賞にノミネートされている。
高遠にある菩提寺の建福寺へ、昭和25年に第6回日展に出品した『薬師』を寄贈。
*************************************************************
*************************************************************
尾身周三 『山里静春』 6号 油彩
絵寸法 41.0cm×31.9cm 額寸法 60.3cm×51.1cm
昭和18年(1943)新潟県に生まれ、昭和35年新宿造形美術卒業。
日本の古民家を中心に描いている油彩画家。
民家を写実的に描き続けて「民家の尾身」と言われている。
民家を描き続ける理由として古き良き日本の懐かしい風景へのあこがれがあった。
田舎の風景は、土地開発なので無くなってしまう風景。
しかしそれを「仕方ないこと」と割り切りながらも絵画として残している。
NHKなどのテレビで特集され、無所属でありながら5回の受章歴がある。

*************************************************************
武居大明 『後立山』 8号 岩彩
絵寸法 40.9cm×31.8cm 額寸法 56.5cm×47.5cm
*************************************************************
平澤喜之助
大正8年(1919)~平成6年(1994) 75歳没
上伊那郡宮田村に生まれ、伊那谷の美しい自然のなかで少年時代から夢中になって絵を描いて育ちました。
帝国美術学校洋画科に学び、兵役を経て再び絵画の道を志し、一水会展、双台社展に入選するとともに、
代々木絵画研究所の講師も勤めました。
その後、中川紀元に師事し、小泉清のフォーヴとの出会い、朝井閑右衛門の知遇を得て、作品は内面の
追求へと変化、昭和37年(1962)大調和会復活第1回展に、武者小路実篤らと参 加、以後、大調和会展や
「新しき村」美術展へ出品しました。
平沢の作品は、重厚なマチエールと濃密な色彩に彩られ、不思議な沈みと深い輝きをたたえています。
人間の苦悩と哀愁をたたえた人物画も見る人を引きつけます。
『 裸 婦 』 4号 油彩
1979年(60歳作)
絵寸法 24.3cm×33.3cm 額寸法 42.0cm×51.0cm
『紫陽花』 4号 油彩
1973年(54歳作)
絵寸法 24.3cm×33.3cm 額寸法 42.1cm×51.0cm

*************************************************************
山田白龍 『双鯉』 10号 岩彩
絵寸法 50.0cm×41.7cm 額寸法 62.5cm×55.0cm
明治37年(1904)~昭和57年(1982) 78歳歿
諏訪市出身。本名は久重。別号に頼渓。田中頼璋に師事。
その後、平福百穂・益田玉城に師事。昭和16年太平洋戦争で南方各地を転戦、スマトラで終戦。
暇さえ有れば、植物の一茎、一葉、蝶などにも心をとめてスケッチ。
昭和21年復員。
翌年、山田頼渓・林宗蘊・長崎通喜・武居大明・平澤有外・藤森青雲らと同人会『白龍会』を結成。
昭和34年、迎賓館の踊場の壁画(昇龍・孔雀)・各室の床の間の軸の揮毫の依頼が有り、
完成した昭和36年、高松宮・同妃両殿下にご高覧の栄に浴す。

*************************************************************
上野 泰郎 『いつものとき』 12号 岩彩
絵寸法 60.8cm×50.5cm 額寸法 80.7cm×70.3cm
*************************************************************
尾身周三 『山里静春』 6号 油彩
絵寸法 41.0cm×31.9cm 額寸法 60.3cm×51.1cm
昭和18年(1943)新潟県に生まれ、昭和35年新宿造形美術卒業。
日本の古民家を中心に描いている油彩画家。
民家を写実的に描き続けて「民家の尾身」と言われている。
民家を描き続ける理由として古き良き日本の懐かしい風景へのあこがれがあった。
田舎の風景は、土地開発なので無くなってしまう風景。
しかしそれを「仕方ないこと」と割り切りながらも絵画として残している。
NHKなどのテレビで特集され、無所属でありながら5回の受章歴がある。
*************************************************************
武居大明 『後立山』 8号 岩彩
絵寸法 40.9cm×31.8cm 額寸法 56.5cm×47.5cm
*************************************************************
平澤喜之助
大正8年(1919)~平成6年(1994) 75歳没
上伊那郡宮田村に生まれ、伊那谷の美しい自然のなかで少年時代から夢中になって絵を描いて育ちました。
帝国美術学校洋画科に学び、兵役を経て再び絵画の道を志し、一水会展、双台社展に入選するとともに、
代々木絵画研究所の講師も勤めました。
その後、中川紀元に師事し、小泉清のフォーヴとの出会い、朝井閑右衛門の知遇を得て、作品は内面の
追求へと変化、昭和37年(1962)大調和会復活第1回展に、武者小路実篤らと参 加、以後、大調和会展や
「新しき村」美術展へ出品しました。
平沢の作品は、重厚なマチエールと濃密な色彩に彩られ、不思議な沈みと深い輝きをたたえています。
人間の苦悩と哀愁をたたえた人物画も見る人を引きつけます。
『 裸 婦 』 4号 油彩
1979年(60歳作)
絵寸法 24.3cm×33.3cm 額寸法 42.0cm×51.0cm
『紫陽花』 4号 油彩
1973年(54歳作)
絵寸法 24.3cm×33.3cm 額寸法 42.1cm×51.0cm
*************************************************************
山田白龍 『双鯉』 10号 岩彩
絵寸法 50.0cm×41.7cm 額寸法 62.5cm×55.0cm
明治37年(1904)~昭和57年(1982) 78歳歿
諏訪市出身。本名は久重。別号に頼渓。田中頼璋に師事。
その後、平福百穂・益田玉城に師事。昭和16年太平洋戦争で南方各地を転戦、スマトラで終戦。
暇さえ有れば、植物の一茎、一葉、蝶などにも心をとめてスケッチ。
昭和21年復員。
翌年、山田頼渓・林宗蘊・長崎通喜・武居大明・平澤有外・藤森青雲らと同人会『白龍会』を結成。
昭和34年、迎賓館の踊場の壁画(昇龍・孔雀)・各室の床の間の軸の揮毫の依頼が有り、
完成した昭和36年、高松宮・同妃両殿下にご高覧の栄に浴す。
*************************************************************
上野 泰郎 『いつものとき』 12号 岩彩
絵寸法 60.8cm×50.5cm 額寸法 80.7cm×70.3cm
*************************************************************
*************************************************************
岸野圭作 『富士』 6号 岩彩
絵寸法 41.0cm×32.0cm 額寸法 59.5cm×50.5cm
昭和28年 和歌山県御坊市生まれ
昭和51年 加藤東一に師事。日展初入選、日春展奨励賞受賞
昭和55年・平成元年、日展特選受賞
平成15年、松本市へ、平成17年、安曇野市へ転居
平成18年 日展評議員
平成19年 京都醍醐寺霊宝館にて『安曇野から京へ』展
平成23年 日本橋高島屋 個展 岸野圭作日本画展
平成25年、岸野圭作日本画展(豊科近代美術館)
平成26年 日本橋高島屋 岸野圭作日本画展
安曇野写生展(安曇野高橋節郎記念美術館)
平成29年 法蔵寺本堂釈迦三尊像の後背壁画を完成
平成30年 『第1回安曇野涼風扇子公募展』実行委員長
平成30年 日本橋高島屋「安曇野春秋」

岸野圭作 『泉小太郎桜』 15号 写生
絵寸法 46.0cm×68.0cm 額寸法 64.8cm×86.4cm
*************************************************************
二井榮逸『 杜 若 』尺八寸横物 絹本 共箱
絵寸法 50.6cm×42.0cm 軸寸法 65.2cm×140.5cm
大正1年(1912)~平成16年(2004) 92歳没。
三重県松坂市出身、三重県県民功労者。
荻生天泉に師事(画)。
第十四世喜多六平太(人間国宝)に師事(能)。
名古屋丸栄、東京、大阪三越、東京、名古屋松坂屋などで個展開催。
アメリカメトロポリタン美術館、斎宮歴史博物館に収蔵。
日本ポルトガル友好450周年記念展最優秀賞受賞。

*************************************************************
《上條俊介 》
明治32年(1899)~昭和55年(1980) 81歳歿
朝日村出身。松本中学(現松本深志高校)を卒業後早稲田大学に進学。
卒業後北村西望に師事。日展・帝展・新文展などの展覧会に作品を発表。
郷里にもいくつか作品を残す。県展では審査員を務め、長野県彫刻工芸会副会長も務める。
晩年は心の安らぎを求めてか仏像なども手がける。
『薬師菩薩明神(神農)』 ブロンズ 高さ25.0cm
*************************************************************
岸野圭作 『富士』 6号 岩彩
絵寸法 41.0cm×32.0cm 額寸法 59.5cm×50.5cm
昭和28年 和歌山県御坊市生まれ
昭和51年 加藤東一に師事。日展初入選、日春展奨励賞受賞
昭和55年・平成元年、日展特選受賞
平成15年、松本市へ、平成17年、安曇野市へ転居
平成18年 日展評議員
平成19年 京都醍醐寺霊宝館にて『安曇野から京へ』展
平成23年 日本橋高島屋 個展 岸野圭作日本画展
平成25年、岸野圭作日本画展(豊科近代美術館)
平成26年 日本橋高島屋 岸野圭作日本画展
安曇野写生展(安曇野高橋節郎記念美術館)
平成29年 法蔵寺本堂釈迦三尊像の後背壁画を完成
平成30年 『第1回安曇野涼風扇子公募展』実行委員長
平成30年 日本橋高島屋「安曇野春秋」
岸野圭作 『泉小太郎桜』 15号 写生
絵寸法 46.0cm×68.0cm 額寸法 64.8cm×86.4cm
*************************************************************
二井榮逸『 杜 若 』尺八寸横物 絹本 共箱
絵寸法 50.6cm×42.0cm 軸寸法 65.2cm×140.5cm
大正1年(1912)~平成16年(2004) 92歳没。
三重県松坂市出身、三重県県民功労者。
荻生天泉に師事(画)。
第十四世喜多六平太(人間国宝)に師事(能)。
名古屋丸栄、東京、大阪三越、東京、名古屋松坂屋などで個展開催。
アメリカメトロポリタン美術館、斎宮歴史博物館に収蔵。
日本ポルトガル友好450周年記念展最優秀賞受賞。
*************************************************************
《上條俊介 》
明治32年(1899)~昭和55年(1980) 81歳歿
朝日村出身。松本中学(現松本深志高校)を卒業後早稲田大学に進学。
卒業後北村西望に師事。日展・帝展・新文展などの展覧会に作品を発表。
郷里にもいくつか作品を残す。県展では審査員を務め、長野県彫刻工芸会副会長も務める。
晩年は心の安らぎを求めてか仏像なども手がける。
『薬師菩薩明神(神農)』 ブロンズ 高さ25.0cm
*************************************************************
*************************************************************
矢崎牧廣『石廊崎』6号 油彩
絵寸法 41.0cm × 31.8cm 額寸法 61.0cm × 51.8cm
明治38年(1905)~昭和58年(1983) 77歳歿
茅野市上原生まれ。岸田劉生の作品展を見て画家を志し、大正13年上京して林武に師事。
協会展、二科展などに入選、独立美術協会展には第1回展から出品。
昭和18年「ハルピン風景(一)・(二)」にて独立美術協会賞を受賞。
昭和26年、会員。戦後の「信州美術展」の開催に尽力、
諏訪美術館設立のため講習会を行うなど郷土の美術振興に貢献。
昭和24年、県展審査員を務める。
一貫して風景をテーマとし、骨太で力強く自然の躍動感・生命感を追い求めた。
昭和60年、茅野市美術館で遺作展が開催。

「モレー風景」 6号 油彩
絵寸法 41.0cm×31.8cm 額寸法 61.0cm×51.8cm

*************************************************************
山本 弘 『河童2』 3号 油彩 1980(50歳作)
絵寸法 24.2cm×33.5cm 額寸法 39.0cm×48.0cm
*************************************************************
《 三木 登 》
1946年 須坂市に生まれる。
1982年 平川敏夫氏に師事。
1989年 ソビエト欧美国際展優秀賞。
2000年 創画会春期展受賞。
2001年 創画会賞受賞。秋野不矩天竜川絵画公募展準大賞受賞。
2002年 文化庁現代美術選抜展出品
2005年 創画会賞受賞。
2006年 創画会賞受賞。創画会会員に推挙。
現 在 豊橋市在住
『雨音』10号 岩彩
絵寸法 53.0cm × 40.9cm 額寸法 71.5cm × 59.1cm

『春耀』10号 岩彩
絵寸法 45.5cm × 53.0cm 額寸法 65.7cm × 73.0cm

*************************************************************
*************************************************************
米谷 清和 『Hadson River』 2号
版画 7/10
画寸法 20.0cm×14.3cm 額寸法 44.0cm×36.5cm
昭和22年(1947)福井県福井市に生まれる。横山操奨学金により渡欧。
第4回改組日展に初入選。*以後出品を重ねる。会員・年評議員。
多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。
個展(渋谷画廊、東京)。第9回改組日展で特選受賞。
第19回展で特選、第33回展で会員賞。
第1回東京セントラル美術館日本画大賞展で佳作賞受賞。
個展(資生堂ギャラリー、東京)。
多摩美術大学日本画科講師。
横の会結成に参加、第1回展に出品。第10回展まで出品し解散。
第8回山種美術館賞展で優秀賞受賞。
個展(有楽町アートフォーラム、東京、他)。
第3回具象絵画ビエンナーレ展。日本画-雨と余情(埼玉県立近代美術館)。
日本画-現代の視角(新潟市美術館)。両洋の眼展出品。
現代日本の屏風絵展(デュッセルドルフ州立フォルク・ウント・ヴィルトシャフト美術館、他)。
個展(北陸電力・エルフ福井)。多摩美術大学日本画科教授。個展(日本橋・髙島屋、他)。
日本画-純粋と越境展(練馬区立美術館)。
三鷹の原風景とその画家たち(三鷹市芸術文化センター)。個展(福井県立美術館)。

米谷 清和 『Night Light Ⅳ』 0号
版画 4/5
画寸法 10.0cm×14.3cm 額寸法 36.5cm×44.0cm

*************************************************************
レイモンペイネ 「恋人たちの場所」 10号
リトグラフ 180/250 絵寸法 38.0cm×51.3cm 額寸法 64.0cm×79.1cm
1908年~1999年 90歳歿。パリに生まれる。
パリの産業装飾美術学校に入学し、絵の基礎や技術を習得。学校を首席で卒業。
イラストレーター・デザイナーとして働き、そこではチョコレートの箱から香水まで、幅広い仕事を手掛ける。
五歳年上の女性、ドゥニーズ・ダムールと結婚。
「自分たち夫妻が、ペイネの恋人たちのモデルである」。
フランスの英字新聞に挿絵が掲載され一躍名声を得る。
雑誌「リック・エ・ラック」に「ペイネの恋人たち・シリーズ」の連載が開始され、彼の代表作となる。
ブリュッセル万国博において都市計画館の装飾を手がける。
フランスにて芸術・文芸勲章を受章し、彼が晩年の20年を過ごした南仏・アンチーブにペイネ美術館が開館。
ペイネの母の故郷ブラサック・レ・ミンヌにもペイネ美術館が作られる。
1986年には長野県北佐久郡軽井沢町にペイネ美術館が開館。
*************************************************************
無名『抽象画』油彩
矢崎牧廣『石廊崎』6号 油彩
絵寸法 41.0cm × 31.8cm 額寸法 61.0cm × 51.8cm
明治38年(1905)~昭和58年(1983) 77歳歿
茅野市上原生まれ。岸田劉生の作品展を見て画家を志し、大正13年上京して林武に師事。
協会展、二科展などに入選、独立美術協会展には第1回展から出品。
昭和18年「ハルピン風景(一)・(二)」にて独立美術協会賞を受賞。
昭和26年、会員。戦後の「信州美術展」の開催に尽力、
諏訪美術館設立のため講習会を行うなど郷土の美術振興に貢献。
昭和24年、県展審査員を務める。
一貫して風景をテーマとし、骨太で力強く自然の躍動感・生命感を追い求めた。
昭和60年、茅野市美術館で遺作展が開催。
「モレー風景」 6号 油彩
絵寸法 41.0cm×31.8cm 額寸法 61.0cm×51.8cm
*************************************************************
山本 弘 『河童2』 3号 油彩 1980(50歳作)
絵寸法 24.2cm×33.5cm 額寸法 39.0cm×48.0cm
*************************************************************
《 三木 登 》
1946年 須坂市に生まれる。
1982年 平川敏夫氏に師事。
1989年 ソビエト欧美国際展優秀賞。
2000年 創画会春期展受賞。
2001年 創画会賞受賞。秋野不矩天竜川絵画公募展準大賞受賞。
2002年 文化庁現代美術選抜展出品
2005年 創画会賞受賞。
2006年 創画会賞受賞。創画会会員に推挙。
現 在 豊橋市在住
『雨音』10号 岩彩
絵寸法 53.0cm × 40.9cm 額寸法 71.5cm × 59.1cm
『春耀』10号 岩彩
絵寸法 45.5cm × 53.0cm 額寸法 65.7cm × 73.0cm
*************************************************************
*************************************************************
米谷 清和 『Hadson River』 2号
版画 7/10
画寸法 20.0cm×14.3cm 額寸法 44.0cm×36.5cm
昭和22年(1947)福井県福井市に生まれる。横山操奨学金により渡欧。
第4回改組日展に初入選。*以後出品を重ねる。会員・年評議員。
多摩美術大学大学院美術研究科絵画専攻修了。
個展(渋谷画廊、東京)。第9回改組日展で特選受賞。
第19回展で特選、第33回展で会員賞。
第1回東京セントラル美術館日本画大賞展で佳作賞受賞。
個展(資生堂ギャラリー、東京)。
多摩美術大学日本画科講師。
横の会結成に参加、第1回展に出品。第10回展まで出品し解散。
第8回山種美術館賞展で優秀賞受賞。
個展(有楽町アートフォーラム、東京、他)。
第3回具象絵画ビエンナーレ展。日本画-雨と余情(埼玉県立近代美術館)。
日本画-現代の視角(新潟市美術館)。両洋の眼展出品。
現代日本の屏風絵展(デュッセルドルフ州立フォルク・ウント・ヴィルトシャフト美術館、他)。
個展(北陸電力・エルフ福井)。多摩美術大学日本画科教授。個展(日本橋・髙島屋、他)。
日本画-純粋と越境展(練馬区立美術館)。
三鷹の原風景とその画家たち(三鷹市芸術文化センター)。個展(福井県立美術館)。
米谷 清和 『Night Light Ⅳ』 0号
版画 4/5
画寸法 10.0cm×14.3cm 額寸法 36.5cm×44.0cm
*************************************************************
レイモンペイネ 「恋人たちの場所」 10号
リトグラフ 180/250 絵寸法 38.0cm×51.3cm 額寸法 64.0cm×79.1cm
1908年~1999年 90歳歿。パリに生まれる。
パリの産業装飾美術学校に入学し、絵の基礎や技術を習得。学校を首席で卒業。
イラストレーター・デザイナーとして働き、そこではチョコレートの箱から香水まで、幅広い仕事を手掛ける。
五歳年上の女性、ドゥニーズ・ダムールと結婚。
「自分たち夫妻が、ペイネの恋人たちのモデルである」。
フランスの英字新聞に挿絵が掲載され一躍名声を得る。
雑誌「リック・エ・ラック」に「ペイネの恋人たち・シリーズ」の連載が開始され、彼の代表作となる。
ブリュッセル万国博において都市計画館の装飾を手がける。
フランスにて芸術・文芸勲章を受章し、彼が晩年の20年を過ごした南仏・アンチーブにペイネ美術館が開館。
ペイネの母の故郷ブラサック・レ・ミンヌにもペイネ美術館が作られる。
1986年には長野県北佐久郡軽井沢町にペイネ美術館が開館。
*************************************************************
無名『抽象画』油彩
*************************************************************
矢沢 弦月 『竹林高士図』 尺五寸 絹本
絵寸法 40.8cm×126.0cm 軸寸法 54.0cm×198.8cm
明治19年(1886)~昭和27年(1952) 66歳没。
諏訪市生まれ。東京美術学校を首席卒業。
本名は貞則。寺崎広業に師事。文展・帝展。
帝展審査員。長野県展審査員。日展審査員。

*************************************************************
山口玲凞『山百合』尺八寸横物 絹本 共箱
絵寸法 50.3cm×39.2cm 軸寸法 65.2cm×139.0cm
明治27年(1894)~昭和54年(1979) 84歳歿
京都出身。本名は松之助。山口華楊(かよう)の兄。菊池芳文・菊池契月に師事。
大正元年「今朝の秋」で文展初入選,以後も官展を中心に活躍,おもに花鳥をえがいた。
戦後は昭和22年第3回から入選、25年から依嘱出品以後改組日展にも依嘱出品を続ける。
昭和39年京都小御所の襖絵(ふすまえ)を制作。作品はほかに「閑光」「芥子」など。
神奈川県鎌倉市に転居し、画作のかたわら俳句をよくする。

*************************************************************
福田 翠光 『一笑』 尺八寸横物 絹本 共箱
絵寸法 50.3cm×44.8cm 軸寸法 64.5cm×137.5cm
明治28年(1895)~昭和48年(1973) 77歳歿
京都嵯峨生まれ。京都市立芸術大学を卒業すると、西山翠嶂の青甲社に所属。
第7回帝展に初入選、戦後も青甲社展・帝展・日展を中心に活躍し、以来多くの作品で入選・得選を果たす。
昭和33年には、写実的な技法に定評のあった徳岡神泉に師事し、鷹の名手として功名をあげる。

*************************************************************
町田曲江『蓬莱仙境図』尺五寸 絹本
絵寸法 42.0cm × 128.5cm 軸寸法 56.0cm × 209.5cm
明治12年(1879)~昭和42年(1967) 89歳没
中野市に生まれる。本名は春之助。児玉果亭・菊地契月・内海吉堂・寺崎廣業に師事。
東洋美術への回帰。帝展委員に推薦、無鑑査。明治神宮絵画館の壁画揮毫。
信州美術会長を務め発展に尽くす。日本画院再興に尽力、同人。
仏教説話に画題をとり、西洋写実技法とイタリアフィレンツエ派の淡い色調を伝統的な
日本画の技法で独自の新古典的画境を見いだす。
*************************************************************
川船水棹 『梶原景時』 尺 絹本 共箱
絵寸法 27.7cm × 115.2cm 軸寸法 39.0cm × 189.7cm
明治20年(1884)~昭和55年(1980)94歳歿。
松本藩士の三男で東京に生まれる。
小堀鞆音に師事。文展・帝展入選を続ける。
一時、松本に居住、その後上京。安田靫彦らと朱弦会結成。
長野市に疎開、画塾青芽会を開設し後進を指導。
伊東深水・奥村土牛・矢沢弦月らと「全信州美術会」結成。
県展の設立運営に参画、審査員を務める。
土佐派を継承する武者絵は正確な時代考証がされ臨場感を表す。
花鳥画・風景画も得意とした。

『富貴花群雀』 尺五寸 絹本 共箱
絵寸法 40.3cm × 117.0cm 軸寸法 53.0cm × 200.0cm

*************************************************************
鈴木三朝『清流渓谷』尺五寸 紙本 共箱
絵寸法 42.5cm × 115.0cm 額寸法 56.2cm × 194.0cm
明治32年(1899)~平成9年(1997) 98歳歿。
三重県津市に生まれる。池上秀畝・荒井寛方に師事。
第14回・第19回日本美術院展に入選。この時から雅号を「兆皓」から「三朝」に改める。
文部省嘱託・法隆寺金堂壁画の保存模写事業が始まる。荒井寛方の助手として従事。
第二号小壁・菩薩、第十号大壁・薬師浄土。浜松に居を定める。
荒井寛方の不慮の死で、法隆寺金堂壁画模写荒井班の主任代理を務める。
院展特待。

*************************************************************
《 滝川 太郎 》
明治36年(1903)~昭和45年(1970) 67歳歿
絵寸法 32.8cm×133.5cm 軸寸法 43.2cm×208.2cm

『 酒 筵 』の意味
②『観月之図』 半切 紙本
《 佐野光穂 》
明治29年(1896)~昭和35年(1960)65歳没
町田曲江・菊地契月・西山翠嶂・富田渓仙に師事。
別号は省峰、契明、泥牛、欣二郎、晃林。
中野市金井に生まれる。院展に出品。
山ノ内町へ疎開、京都に移る。
「 雪 晨 」 尺三寸 絹本 共箱
「香魚」尺三寸 絹本 共箱
********************************************************
矢沢 弦月 『竹林高士図』 尺五寸 絹本
絵寸法 40.8cm×126.0cm 軸寸法 54.0cm×198.8cm
明治19年(1886)~昭和27年(1952) 66歳没。
諏訪市生まれ。東京美術学校を首席卒業。
本名は貞則。寺崎広業に師事。文展・帝展。
帝展審査員。長野県展審査員。日展審査員。
*************************************************************
山口玲凞『山百合』尺八寸横物 絹本 共箱
絵寸法 50.3cm×39.2cm 軸寸法 65.2cm×139.0cm
明治27年(1894)~昭和54年(1979) 84歳歿
京都出身。本名は松之助。山口華楊(かよう)の兄。菊池芳文・菊池契月に師事。
大正元年「今朝の秋」で文展初入選,以後も官展を中心に活躍,おもに花鳥をえがいた。
戦後は昭和22年第3回から入選、25年から依嘱出品以後改組日展にも依嘱出品を続ける。
昭和39年京都小御所の襖絵(ふすまえ)を制作。作品はほかに「閑光」「芥子」など。
神奈川県鎌倉市に転居し、画作のかたわら俳句をよくする。
*************************************************************
福田 翠光 『一笑』 尺八寸横物 絹本 共箱
絵寸法 50.3cm×44.8cm 軸寸法 64.5cm×137.5cm
明治28年(1895)~昭和48年(1973) 77歳歿
京都嵯峨生まれ。京都市立芸術大学を卒業すると、西山翠嶂の青甲社に所属。
第7回帝展に初入選、戦後も青甲社展・帝展・日展を中心に活躍し、以来多くの作品で入選・得選を果たす。
昭和33年には、写実的な技法に定評のあった徳岡神泉に師事し、鷹の名手として功名をあげる。
*************************************************************
町田曲江『蓬莱仙境図』尺五寸 絹本
絵寸法 42.0cm × 128.5cm 軸寸法 56.0cm × 209.5cm
明治12年(1879)~昭和42年(1967) 89歳没
中野市に生まれる。本名は春之助。児玉果亭・菊地契月・内海吉堂・寺崎廣業に師事。
東洋美術への回帰。帝展委員に推薦、無鑑査。明治神宮絵画館の壁画揮毫。
信州美術会長を務め発展に尽くす。日本画院再興に尽力、同人。
仏教説話に画題をとり、西洋写実技法とイタリアフィレンツエ派の淡い色調を伝統的な
日本画の技法で独自の新古典的画境を見いだす。
*************************************************************
川船水棹 『梶原景時』 尺 絹本 共箱
絵寸法 27.7cm × 115.2cm 軸寸法 39.0cm × 189.7cm
明治20年(1884)~昭和55年(1980)94歳歿。
松本藩士の三男で東京に生まれる。
小堀鞆音に師事。文展・帝展入選を続ける。
一時、松本に居住、その後上京。安田靫彦らと朱弦会結成。
長野市に疎開、画塾青芽会を開設し後進を指導。
伊東深水・奥村土牛・矢沢弦月らと「全信州美術会」結成。
県展の設立運営に参画、審査員を務める。
土佐派を継承する武者絵は正確な時代考証がされ臨場感を表す。
花鳥画・風景画も得意とした。
『富貴花群雀』 尺五寸 絹本 共箱
絵寸法 40.3cm × 117.0cm 軸寸法 53.0cm × 200.0cm
*************************************************************
鈴木三朝『清流渓谷』尺五寸 紙本 共箱
絵寸法 42.5cm × 115.0cm 額寸法 56.2cm × 194.0cm
明治32年(1899)~平成9年(1997) 98歳歿。
三重県津市に生まれる。池上秀畝・荒井寛方に師事。
第14回・第19回日本美術院展に入選。この時から雅号を「兆皓」から「三朝」に改める。
文部省嘱託・法隆寺金堂壁画の保存模写事業が始まる。荒井寛方の助手として従事。
第二号小壁・菩薩、第十号大壁・薬師浄土。浜松に居を定める。
荒井寛方の不慮の死で、法隆寺金堂壁画模写荒井班の主任代理を務める。
院展特待。
*************************************************************
《 滝川 太郎 》
明治36年(1903)~昭和45年(1970) 67歳歿
松本市天神(現在の松本市深志2丁目付近)生まれ。
開智小学校卒業後、松本市縄手のそば屋「弁天楼」に住み込みで働く。
上京し太平洋画会研究所に学ぶ。二科展に入選。
渡仏。帰国、松本駅前農業会館で帰朝記念展。
一水会展で岩倉具方賞を受賞。一水会会員。
脳溢血で右手が不自由、以後は左手で制作。
開智小学校卒業後、松本市縄手のそば屋「弁天楼」に住み込みで働く。
上京し太平洋画会研究所に学ぶ。二科展に入選。
渡仏。帰国、松本駅前農業会館で帰朝記念展。
一水会展で岩倉具方賞を受賞。一水会会員。
脳溢血で右手が不自由、以後は左手で制作。
①『酒筵之図』 半切 紙本
絵寸法 32.8cm×133.5cm 軸寸法 43.2cm×208.2cm
『 酒 筵 』の意味
*旅の土ぼこりを落 とす宴席。
*宴を設けて遠来の 客をもてなすこと。
②『観月之図』 半切 紙本
