~ホームページをご覧頂いた方~
明けましておめでとうございます。
新しい年を迎え、いかがお過ごしでしょうか。
こんな機会に、
一枚の絵を眺めて、昨年の疲れが癒やされれば良いですね。
『 画廊は、敷居は高いが、でも癒やされる 』
そんな画廊が、だいこく画廊です。
是非一度、ご来廊してみて下さい!
満足して頂けます。
こんな時だからこそ、絵を眺めるも良し、話をするも良し、ストレス
解消するも良し、そんな場所にして頂き少しでも明るい気持ちでお過ご
し頂ければと思います。くれぐれも無理をせずご自愛下さい。
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新年初売り!
~人気の郷土作家から中央巨匠作家まで~
『掛軸・日本画・洋画・彫塑名品展』
会期 1月22日(木)~24日(土) 午前10時~午後5時
(最終日は、午後2時まで)
会場 市民タイムス 山光ホール 安曇野市穂高柏原2684
TEL(0263)82-0001
気になる作品・価格の値引きなど、お気軽にお問い合わせ下さい。
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清水 多嘉示 「コスチュームの娘」 ブロンズ 1930年(33歳作)
明治30年(1897)~昭和56年(1981) 84歳没。原村出身。
1915年旧制諏訪中学中退、若くして画才を発揮、当初は画家を志し、風景や人物を重厚な色彩とタッチで描く。
二科展に入選、渡仏するまで毎回入選。
23年絵画を学ぶためパリに渡り、「サロン・デ・テュイルリー」でオーギュスト・ロダンの高弟、アントワーヌ
・ブールデルの作品と出会い感銘を受け、彫刻家を志した。
E・ブールデルに師事。サロン・ドートンヌへ絵画、彫刻を出品、27年まで毎回入選。
アルベルト・ジャコメッティ、藤田嗣治、イサム・ノグチ、小山敬三らと交遊。28年帰国、29年帝国美術学校助教授。
ブロンズ彫刻で、院展、国画会の国展、春陽会展、サンパウロ・ビエンナーレ国際現代美術展などに出品。43年新文展審査員。
生命感にあふれるブロンズ像で高い評価、戦後は日展に出品、48年武蔵野美術学校教授、日展
審査員、50年日展運営会参事、
53年芸術選奨文部大臣賞受賞、54年「青年像」で日本芸術院賞、58年日展評議員、65年日本芸術院会員、日展理事、
69年には武蔵野美術学園初代学園長に就任、勲三等瑞宝章受章、日展常務理事、71年東京国立近代美術館評議員、73年日展顧問、
80年には文化功労者。
高さ 29.0cm(台座 3.0cm)

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松林桂月 『山村晩帰図』 二尺横物 絹本 共箱
絵寸法 57.0cm×49.0cm 軸寸法 74.0cm×148.5cm
明治9年(1876)~昭和38年(1963) 88歳歿
山口県萩市生まれ。元の姓は伊藤、本名は篤。字は子敬。別号に香外、玉江漁人。妻の松林雪貞も日本画家。
「最後の文人画家」とも評され、渡辺崋山や椿椿山ら崋椿系の流れをくむ精緻で謹直な描写を基礎に、近代の
写生画の流行を十分に取り込みながら、そこに漢籍、漢詩の素養に裏付けされた品格の高い作風。
野口幽谷に師事。南画の表現に新たな世界を開拓、南画界の重鎮と言われる。日本南宗画会を結成。
帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員。日中文化協会理事、日本美術協会理事、日展運営委員会常任理事、同理事。
文化勲章受章、文化功労者、日展顧問、日本南画院会長。
死後従三位勲二等旭日重光章受章。弟子に白井烟嵓・大平華泉・西野新川などがいる。

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中村直人 『スカーフの女』 3号
絵寸法 22.0cm×27.3cm 額寸法 42.3cm×47.5cm
明治38年(1905)~昭和56年(1981) 75歳歿
上田市生まれ。本名は直人。山本鼎の農民美術研究所で美術に触れる。
日本美術院同人吉田白嶺の内弟子となり木彫を学ぶ。第13回日本美術院展に木彫が初入選、以後同展へ彫刻作品を出品。
日本美術院院友となる。日本美術院賞を受賞、美術院同人に推挙。北支戦線に従軍、銀座松屋で「北支従軍スケッチ展」を開催。
聖戦美術展に出品し受賞。岩田豊雄の朝日新聞連載小説『海軍』の挿絵を担当。
戦後、パリへ留学、13年間の滞在中に油絵を学び、個展も開催して注目される
。銀座松屋で絵画作品による「中村直人滞仏絵画展」を開催。二科会絵画部会員。会員努力賞・総理大臣賞を受賞。
彫刻から絵画へ転向した異色作家で、多彩でエキゾチックな女性像を得意とした。

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高橋貞一郎 『裸婦(C)』 20号 油彩 画集掲載作品(NO.21)
明治30年(1897)~昭和30年(1955) 59歳没
岡谷市生まれ。長野師範学校に学び、郷里の今井小学校に勤務する傍ら、油絵を制作。
25歳のとき岸田劉生に師事、写実画を学ぶ。初期の作品には岸田の影響の深さが伺える。
30歳で母校の諏訪中学教師となる。
永年の夢であった渡仏を40歳のとき果たし、フリエス・ヴラマンクに師事。
パリ滞在中は制作に没頭。戦後は一水会会員として迎えられ、後進の指導に尽力。
50歳で日展に『信州川岸村風景』が入選。寡黙でまじめ。
ひたすら描く姿勢が繁栄するまじめな作品である。
書や音楽を愛で、幅広い感性で端正な画面構成を追求した。
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滝沢具幸 『 原 野 』 40号 岩彩
絵寸法 100.0cm×80.3cm 額寸法 123.0cm×103.0cm
昭和16年(1941) 飯田市生まれ。
東京芸術大学大学院修了。
第23回新制作協会日本画部新作家賞。
第1回創画展創画会賞。
第1回東京春季創画展春季展賞。
第3回東京春季創画展春季展賞。創画会会員。
第17回MOA美術館岡田茂吉賞。
第8回山種美術館賞展優秀賞。
飯田美術博物館館長歴任。武蔵美教授。

滝沢具幸 『水のある風景』 15号 岩彩
絵寸法 65.2cm×53.2cm 額寸法 80.7cm×68.4cm

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平岩洋彦 『南信濃の春』 6号 岩彩
絵寸法 41.1cm×30.8cm 額寸法 61.3cm×52.0cm
昭和19年(1944) 飯田市生まれ。
東京藝術大学大学院を修了後、法隆寺金堂壁画の再現模写に従事しその後、創画展や新制作展などに出品を続ける。
昭和53年には文化庁派遣芸術家在外研修員としてイタリア・フィレンツェに滞在し、西洋美術の影響を受けました。
彼の作品は、四季折々の自然を繊細な筆致で描き、詩情豊かな風景画が特徴です。

平岩洋彦 『 秋 装 』 3号 岩彩
絵寸法 21.8cm×27.0cm 額寸法 42.7cm×47.7cm

平岩洋彦 『望残雪』 3号 岩彩
絵寸法 30.1cm×17.0cm 額寸法 49.4cm×36.3cm

平岩洋彦 『山麓彩雪』 10号 岩彩
絵寸法 41.0cm×53.1cm 額寸法 62.5cm×74.8cm

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佐々木 裕而
昭和26年(1951)~令和5年(2023)71歳没。
北海道出身。安宅賞受賞(芸大学内賞)・東京芸術大学大学院専攻終了。
グループ展、双美会展・行人社展に出品(以後毎回)。
新宿住友ビルミニチュア日本画大賞展・住友ビル賞受賞。
東京セントラル美術館日本画大賞展出品。東京資生堂ギャラリーで個展。
高島屋日本橋店で個展。東京セントラル美術館日本画大賞展招待出品。
栗田美術館で個展。増上寺天井画制作。
日本経済新聞ファミリーカレンダー原画。
ロシア日本の美展。東日本大震災復興チャリティー・アート展。
『早暁凍蹊 』 30号 岩彩
2005年 日本橋三越本店個展 出展作品(NO.4)
絵寸法 90.3cm×60.5cm 額寸法 112.8cm×82.6cm

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河越 虎之進 『 』油彩
明治24年(1891)~平成元年(1989) 98歳歿
南安曇郡梓村花見(現松本市)に代々続く庄屋の長男として生まれる。
松本中学校(現松本深志高校)に入学。美術教師武井真澄と出会い、東京美術学校に学び、
黒田清輝、藤島武二、和田英作、岡田三郎助などの教えを受ける。
この明治の新進たちがもたらした外光主義は、その手堅く伝統的な手法とともに、虎之進
の長い制作活動の基軸となる。
大正10年、再婚、小田原にアトリエを構える。
昭和2年、第8回帝展に入選、翌年の帝展への連続入選、数々の展覧会に入選し、意欲的
な制作を続け新進作家として注目を集める。
昭和6年、重度の右足関節炎を発病、歩行を失い病臥生活を送る。
昭和7年頃より得た教師の職を失う。娘の死・母の死と相次ぐ肉親との別れ。
心はいつしか若き日に去った故郷の山々に向けられていった。
主治医に湯治をすすめられたのをきっかけに信州「崖の湯」に家族共々疎開。
自ら設計した住まい「丘隅庵」を建てる。
歩行を取り戻し堰を切ったように気迫のこもる作品を生み出す。
自然と対峙しながら自らをそのなかに同化させ、「あるがままに描く」を実践。
中信美術会・日本山岳画協会など生涯を通じてかかわる。友人たちの誘いを断り、中央画壇
に復帰すること無かった。
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真道 茂
昭和12年(1937)~平成30年(2018) 81歳没
上田市に生まれ。石井鶴三のもと東京藝術大学で彫刻を学び、卒業制作の《飢え》は文部省買上となり、学部を首席で卒業、同大大学院修士課程を修了。
昭和45年のリンダブルン国際彫刻シンポジウムをはじめ、海外での彫刻シンポジウムへ積極的に参加し、国内外で活躍。
また、彫刻作品の制作と合わせて絵画作品の制作にも意欲を注ぎ、平成2年には東京セントラルアネックスにて絵画作品のみの個展も開催。
晩年は諏訪市に居を移し、アトリエで多くの作品を制作。
真道 茂 「 女 性 」 レリーフ

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池上秀畝作品
明治7年(1874)~昭和19年(1944)70歳歿
伊那市高遠に紙商兼小間物屋の次男として生れる。本名は國三郎。
祖父池上休柳は、高遠藩・御用絵師に狩野派を学び、慶応2年には自らの画論『松柳問答』を刊行。
父池上秀華も、岡本豊彦から四条派を学び、祖父と同様、俳句や短歌を詠み、茶道や華道に凝る。
秀畝が口述筆記させた自伝では、生まれた時からこのような環境だったので、絵の描き方を自然に覚えたと語っている。
明治21年頃には、自ら「國山」の号を用いる。明治22年、15歳で小学校を卒業後、父と共に上京。
瀧和亭、川辺御楯を訪ねるが父は気に入らず、当時無名だった荒木寛畝の最初の門人・内弟子となり文人画を学ぶ。
一時は洋画も研究する。明治39年、同じ門下生の大岡豊子(緑畝)と結婚。
明治40年正派同志会第1回展で二等銀牌、翌年の文展で初入選。
3年連続で文展特選。大正8年、帝展で無鑑査。昭和8年、帝展審査員。伝神洞画塾を主宰し後進の指導に尽力。
晩年になっても力作を次々と発表。
昭和25年、伊那公園に、池上家三代の絵師を顕彰する『画人三代碑』が建てられた。
池上秀畝 『図』 半切 紙本
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中島章光(陵堂) 『桜花美人図』 縦額 絹本
慶応元年(1865)~昭和21年(1946) 82歳歿
静岡県生まれ。別号は陵堂。
京絵専で共に学んだ華岳・麦僊らと国画創作協会を設立し活躍。
伊那や高島小学校などで教師。
作品は東京・大阪に多く所蔵。
中島章光 『釈迦出山図』 尺五寸 絹本
絵寸法 65.3cm×53.7cm 軸寸法 81.2cm×158.0cm
明治37年(1904)~昭和38年(1963) 71歳歿
上伊那郡高遠町(現・伊那市)出身。本名は孝平。歴史人物画を得意とした。
呉服商で図案を描いて生計を立て、日本画家の蔦谷龍岬に大和絵を学んだ。
昭和2年、第8回帝展で「晩秋」が初入選。
昭和8年に龍岬が死去後、前田青邨に師事。
昭和15年に大礼記念京都美術館で開催された日本画大展覧会では、「雲と防人」が大毎・東日賞を受賞。
昭和16年の第4回新文展では「撃て」が特選。
昭和22年の第3回日展では「像造」が特選。
戦後には大仏次郎著『乞食大将』、吉川英治著『太閤記』、井上靖著『風と雲と砦』『真田軍記』『風林火山』に挿絵を描いたり、
黒澤明監督の映画『七人の侍』で衣装考証を担当したり、歌舞伎「新忠臣蔵」で舞台装置を製作するなど、芸術界で幅広く活躍した。
『七人の侍』では第29回アカデミー賞で衣裳デザイン賞にノミネートされている。
高遠にある菩提寺の建福寺へ、昭和25年に第6回日展に出品した『薬師』を寄贈。
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明けましておめでとうございます。
新しい年を迎え、いかがお過ごしでしょうか。
こんな機会に、
一枚の絵を眺めて、昨年の疲れが癒やされれば良いですね。
『 画廊は、敷居は高いが、でも癒やされる 』
そんな画廊が、だいこく画廊です。
是非一度、ご来廊してみて下さい!
満足して頂けます。
こんな時だからこそ、絵を眺めるも良し、話をするも良し、ストレス
解消するも良し、そんな場所にして頂き少しでも明るい気持ちでお過ご
し頂ければと思います。くれぐれも無理をせずご自愛下さい。
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新年初売り!
~人気の郷土作家から中央巨匠作家まで~
『掛軸・日本画・洋画・彫塑名品展』
会期 1月22日(木)~24日(土) 午前10時~午後5時
(最終日は、午後2時まで)
会場 市民タイムス 山光ホール 安曇野市穂高柏原2684
TEL(0263)82-0001
気になる作品・価格の値引きなど、お気軽にお問い合わせ下さい。
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清水 多嘉示 「コスチュームの娘」 ブロンズ 1930年(33歳作)
明治30年(1897)~昭和56年(1981) 84歳没。原村出身。
1915年旧制諏訪中学中退、若くして画才を発揮、当初は画家を志し、風景や人物を重厚な色彩とタッチで描く。
二科展に入選、渡仏するまで毎回入選。
23年絵画を学ぶためパリに渡り、「サロン・デ・テュイルリー」でオーギュスト・ロダンの高弟、アントワーヌ
・ブールデルの作品と出会い感銘を受け、彫刻家を志した。
E・ブールデルに師事。サロン・ドートンヌへ絵画、彫刻を出品、27年まで毎回入選。
アルベルト・ジャコメッティ、藤田嗣治、イサム・ノグチ、小山敬三らと交遊。28年帰国、29年帝国美術学校助教授。
ブロンズ彫刻で、院展、国画会の国展、春陽会展、サンパウロ・ビエンナーレ国際現代美術展などに出品。43年新文展審査員。
生命感にあふれるブロンズ像で高い評価、戦後は日展に出品、48年武蔵野美術学校教授、日展
審査員、50年日展運営会参事、
53年芸術選奨文部大臣賞受賞、54年「青年像」で日本芸術院賞、58年日展評議員、65年日本芸術院会員、日展理事、
69年には武蔵野美術学園初代学園長に就任、勲三等瑞宝章受章、日展常務理事、71年東京国立近代美術館評議員、73年日展顧問、
80年には文化功労者。
高さ 29.0cm(台座 3.0cm)
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松林桂月 『山村晩帰図』 二尺横物 絹本 共箱
絵寸法 57.0cm×49.0cm 軸寸法 74.0cm×148.5cm
明治9年(1876)~昭和38年(1963) 88歳歿
山口県萩市生まれ。元の姓は伊藤、本名は篤。字は子敬。別号に香外、玉江漁人。妻の松林雪貞も日本画家。
「最後の文人画家」とも評され、渡辺崋山や椿椿山ら崋椿系の流れをくむ精緻で謹直な描写を基礎に、近代の
写生画の流行を十分に取り込みながら、そこに漢籍、漢詩の素養に裏付けされた品格の高い作風。
野口幽谷に師事。南画の表現に新たな世界を開拓、南画界の重鎮と言われる。日本南宗画会を結成。
帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員。日中文化協会理事、日本美術協会理事、日展運営委員会常任理事、同理事。
文化勲章受章、文化功労者、日展顧問、日本南画院会長。
死後従三位勲二等旭日重光章受章。弟子に白井烟嵓・大平華泉・西野新川などがいる。
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中村直人 『スカーフの女』 3号
絵寸法 22.0cm×27.3cm 額寸法 42.3cm×47.5cm
明治38年(1905)~昭和56年(1981) 75歳歿
上田市生まれ。本名は直人。山本鼎の農民美術研究所で美術に触れる。
日本美術院同人吉田白嶺の内弟子となり木彫を学ぶ。第13回日本美術院展に木彫が初入選、以後同展へ彫刻作品を出品。
日本美術院院友となる。日本美術院賞を受賞、美術院同人に推挙。北支戦線に従軍、銀座松屋で「北支従軍スケッチ展」を開催。
聖戦美術展に出品し受賞。岩田豊雄の朝日新聞連載小説『海軍』の挿絵を担当。
戦後、パリへ留学、13年間の滞在中に油絵を学び、個展も開催して注目される
。銀座松屋で絵画作品による「中村直人滞仏絵画展」を開催。二科会絵画部会員。会員努力賞・総理大臣賞を受賞。
彫刻から絵画へ転向した異色作家で、多彩でエキゾチックな女性像を得意とした。
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高橋貞一郎 『裸婦(C)』 20号 油彩 画集掲載作品(NO.21)
明治30年(1897)~昭和30年(1955) 59歳没
岡谷市生まれ。長野師範学校に学び、郷里の今井小学校に勤務する傍ら、油絵を制作。
25歳のとき岸田劉生に師事、写実画を学ぶ。初期の作品には岸田の影響の深さが伺える。
30歳で母校の諏訪中学教師となる。
永年の夢であった渡仏を40歳のとき果たし、フリエス・ヴラマンクに師事。
パリ滞在中は制作に没頭。戦後は一水会会員として迎えられ、後進の指導に尽力。
50歳で日展に『信州川岸村風景』が入選。寡黙でまじめ。
ひたすら描く姿勢が繁栄するまじめな作品である。
書や音楽を愛で、幅広い感性で端正な画面構成を追求した。
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滝沢具幸 『 原 野 』 40号 岩彩
絵寸法 100.0cm×80.3cm 額寸法 123.0cm×103.0cm
昭和16年(1941) 飯田市生まれ。
東京芸術大学大学院修了。
第23回新制作協会日本画部新作家賞。
第1回創画展創画会賞。
第1回東京春季創画展春季展賞。
第3回東京春季創画展春季展賞。創画会会員。
第17回MOA美術館岡田茂吉賞。
第8回山種美術館賞展優秀賞。
飯田美術博物館館長歴任。武蔵美教授。
滝沢具幸 『水のある風景』 15号 岩彩
絵寸法 65.2cm×53.2cm 額寸法 80.7cm×68.4cm
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平岩洋彦 『南信濃の春』 6号 岩彩
絵寸法 41.1cm×30.8cm 額寸法 61.3cm×52.0cm
昭和19年(1944) 飯田市生まれ。
東京藝術大学大学院を修了後、法隆寺金堂壁画の再現模写に従事しその後、創画展や新制作展などに出品を続ける。
昭和53年には文化庁派遣芸術家在外研修員としてイタリア・フィレンツェに滞在し、西洋美術の影響を受けました。
彼の作品は、四季折々の自然を繊細な筆致で描き、詩情豊かな風景画が特徴です。
平岩洋彦 『 秋 装 』 3号 岩彩
絵寸法 21.8cm×27.0cm 額寸法 42.7cm×47.7cm
平岩洋彦 『望残雪』 3号 岩彩
絵寸法 30.1cm×17.0cm 額寸法 49.4cm×36.3cm
平岩洋彦 『山麓彩雪』 10号 岩彩
絵寸法 41.0cm×53.1cm 額寸法 62.5cm×74.8cm
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佐々木 裕而
昭和26年(1951)~令和5年(2023)71歳没。
北海道出身。安宅賞受賞(芸大学内賞)・東京芸術大学大学院専攻終了。
グループ展、双美会展・行人社展に出品(以後毎回)。
新宿住友ビルミニチュア日本画大賞展・住友ビル賞受賞。
東京セントラル美術館日本画大賞展出品。東京資生堂ギャラリーで個展。
高島屋日本橋店で個展。東京セントラル美術館日本画大賞展招待出品。
栗田美術館で個展。増上寺天井画制作。
日本経済新聞ファミリーカレンダー原画。
ロシア日本の美展。東日本大震災復興チャリティー・アート展。
『早暁凍蹊 』 30号 岩彩
2005年 日本橋三越本店個展 出展作品(NO.4)
絵寸法 90.3cm×60.5cm 額寸法 112.8cm×82.6cm
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河越 虎之進 『 』油彩
明治24年(1891)~平成元年(1989) 98歳歿
南安曇郡梓村花見(現松本市)に代々続く庄屋の長男として生まれる。
松本中学校(現松本深志高校)に入学。美術教師武井真澄と出会い、東京美術学校に学び、
黒田清輝、藤島武二、和田英作、岡田三郎助などの教えを受ける。
この明治の新進たちがもたらした外光主義は、その手堅く伝統的な手法とともに、虎之進
の長い制作活動の基軸となる。
大正10年、再婚、小田原にアトリエを構える。
昭和2年、第8回帝展に入選、翌年の帝展への連続入選、数々の展覧会に入選し、意欲的
な制作を続け新進作家として注目を集める。
昭和6年、重度の右足関節炎を発病、歩行を失い病臥生活を送る。
昭和7年頃より得た教師の職を失う。娘の死・母の死と相次ぐ肉親との別れ。
心はいつしか若き日に去った故郷の山々に向けられていった。
主治医に湯治をすすめられたのをきっかけに信州「崖の湯」に家族共々疎開。
自ら設計した住まい「丘隅庵」を建てる。
歩行を取り戻し堰を切ったように気迫のこもる作品を生み出す。
自然と対峙しながら自らをそのなかに同化させ、「あるがままに描く」を実践。
中信美術会・日本山岳画協会など生涯を通じてかかわる。友人たちの誘いを断り、中央画壇
に復帰すること無かった。
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真道 茂
昭和12年(1937)~平成30年(2018) 81歳没
上田市に生まれ。石井鶴三のもと東京藝術大学で彫刻を学び、卒業制作の《飢え》は文部省買上となり、学部を首席で卒業、同大大学院修士課程を修了。
昭和45年のリンダブルン国際彫刻シンポジウムをはじめ、海外での彫刻シンポジウムへ積極的に参加し、国内外で活躍。
また、彫刻作品の制作と合わせて絵画作品の制作にも意欲を注ぎ、平成2年には東京セントラルアネックスにて絵画作品のみの個展も開催。
晩年は諏訪市に居を移し、アトリエで多くの作品を制作。
真道 茂 「 女 性 」 レリーフ
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池上秀畝作品
明治7年(1874)~昭和19年(1944)70歳歿
伊那市高遠に紙商兼小間物屋の次男として生れる。本名は國三郎。
祖父池上休柳は、高遠藩・御用絵師に狩野派を学び、慶応2年には自らの画論『松柳問答』を刊行。
父池上秀華も、岡本豊彦から四条派を学び、祖父と同様、俳句や短歌を詠み、茶道や華道に凝る。
秀畝が口述筆記させた自伝では、生まれた時からこのような環境だったので、絵の描き方を自然に覚えたと語っている。
明治21年頃には、自ら「國山」の号を用いる。明治22年、15歳で小学校を卒業後、父と共に上京。
瀧和亭、川辺御楯を訪ねるが父は気に入らず、当時無名だった荒木寛畝の最初の門人・内弟子となり文人画を学ぶ。
一時は洋画も研究する。明治39年、同じ門下生の大岡豊子(緑畝)と結婚。
明治40年正派同志会第1回展で二等銀牌、翌年の文展で初入選。
3年連続で文展特選。大正8年、帝展で無鑑査。昭和8年、帝展審査員。伝神洞画塾を主宰し後進の指導に尽力。
晩年になっても力作を次々と発表。
昭和25年、伊那公園に、池上家三代の絵師を顕彰する『画人三代碑』が建てられた。
池上秀畝 『図』 半切 紙本
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中島章光(陵堂) 『桜花美人図』 縦額 絹本
慶応元年(1865)~昭和21年(1946) 82歳歿
静岡県生まれ。別号は陵堂。
京絵専で共に学んだ華岳・麦僊らと国画創作協会を設立し活躍。
伊那や高島小学校などで教師。
作品は東京・大阪に多く所蔵。
中島章光 『釈迦出山図』 尺五寸 絹本
絵寸法 65.3cm×53.7cm 軸寸法 81.2cm×158.0cm
明治37年(1904)~昭和38年(1963) 71歳歿
上伊那郡高遠町(現・伊那市)出身。本名は孝平。歴史人物画を得意とした。
呉服商で図案を描いて生計を立て、日本画家の蔦谷龍岬に大和絵を学んだ。
昭和2年、第8回帝展で「晩秋」が初入選。
昭和8年に龍岬が死去後、前田青邨に師事。
昭和15年に大礼記念京都美術館で開催された日本画大展覧会では、「雲と防人」が大毎・東日賞を受賞。
昭和16年の第4回新文展では「撃て」が特選。
昭和22年の第3回日展では「像造」が特選。
戦後には大仏次郎著『乞食大将』、吉川英治著『太閤記』、井上靖著『風と雲と砦』『真田軍記』『風林火山』に挿絵を描いたり、
黒澤明監督の映画『七人の侍』で衣装考証を担当したり、歌舞伎「新忠臣蔵」で舞台装置を製作するなど、芸術界で幅広く活躍した。
『七人の侍』では第29回アカデミー賞で衣裳デザイン賞にノミネートされている。
高遠にある菩提寺の建福寺へ、昭和25年に第6回日展に出品した『薬師』を寄贈。
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