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~ホームページをご覧頂いた方~

寒さが厳しい季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
こんな時だからこそ、
一枚の絵を眺めて、日々の生活が癒やされれば良いですね。




 『 画廊は、敷居は高いが、でも癒やされる 』
        そんな画廊が、だいこく画廊です。

  是非一度、ご来廊してみて下さい!

  満足して頂けます。
      

 こんな時だからこそ、絵を眺めるも良し、話をするも良し、ストレス
消するも良し、そんな場所にして頂き少しでも明るい気持ちでお過ご
頂ければと思います。くれぐれも無理をせずご自愛下さい。



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    おかげさまで『創業22年!大感謝祭』 

     ~日本画・掛軸・洋画・版画~

 
 会期 4月12日(土)~13日(日)    午前10時~午後5時

    
 会場 有限会社だいこく画廊 ギャラリー内

       TEL (0266)54ー2858


  

気になる作品・価格の値引きなど、お気軽にお問い合わせ下さい。



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   滝沢具幸 『 原 野 』 40号 岩彩

         絵寸法 100.0cm×80.3cm   額寸法 123.0cm×103.0cm

昭和16年(1941) 飯田市生まれ。
東京芸術大学大学院修了。
第23回新制作協会日本画部新作家賞。
第1回創画展創画会賞。
第1回東京春季創画展春季展賞。
第3回東京春季創画展春季展賞。創画会会員。
第17回MOA美術館岡田茂吉賞。
第8回山種美術館賞展優秀賞。
飯田美術博物館館長歴任。武蔵美教授。


        


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   佐々木 裕而


昭和26年(1951)~令和5年(2023)71歳没。
北海道出身。安宅賞受賞(芸大学内賞)・東京芸術大学大学院専攻終了。
グループ展、双美会展・行人社展に出品(以後毎回)。
新宿住友ビルミニチュア日本画大賞展・住友ビル賞受賞。
東京セントラル美術館日本画大賞展出品。東京資生堂ギャラリーで個展。
高島屋日本橋店で個展。東京セントラル美術館日本画大賞展招待出品。
栗田美術館で個展。増上寺天井画制作。
日本経済新聞ファミリーカレンダー原画。
ロシア日本の美展。東日本大震災復興チャリティー・アート展。

  『早暁凍蹊 』 30号 岩彩

      2005年 日本橋三越本店個展 出展作品(NO.4)

      絵寸法 90.3cm×60.5cm  額寸法 112.8cm×82.6cm

      


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   宮坂勝 『静物』 4号 油彩

昭和26年 1月    絵寸法 33.3cm×24.2cm 額寸法 51.3m×42.2cm 

明治28年(1895)~昭和28年(1953)58歳歿。
南安曇郡倭村(現:松本市)生まれ。
旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)を経て大正8年東京美術学校(現:東京藝術大学)西洋画科卒業。
大正12年フランスに留学し、アカデミー ・モデルヌ(英語版)でオトン・フリエスに師事、昭和2年帰国。
母校中学の美術教師となった。 その後国画創作協会展(国画会)に作品の出品を勧められ出品。
第6回展にて奨励賞を受賞、同会会員となる。
昭和6年帝国美術学校(現:武蔵野美術大学)教授となり、後進の指導とともに、油絵の普及に努めた。
昭和20年第二次世界大戦の東京大空襲で東京の自宅を焼失し、生家へ疎開。昭和21年第1と第2回日展で特選を受賞。
同年、信州美術会(長野県美術展(県展)の団体)を結成し幹事、審査員となり、郷里の美術の発展に尽くした。
昭和28年、松本市から地方文化向上への功績に功労賞を贈られた。

        


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   中川紀元 『白馬雪旦』 10号 油彩

昭和42年(1967年)76歳作    絵寸法 52.9cm×45.5cm 額寸法 73.0m×65.6cm

明治25年(1892)~昭和47年(1972)81歳没。
辰野町生まれ。本名は紀元次。東京美術学校彫塑科。石井柏亭、正宗得三郎、マチスに師事。
二紀会結成。第一回長野県展審査員。日本芸術院恩賜賞受賞。辰野町名誉町民。

      


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   池上秀畝作品
      

明治7年(1874)~昭和19年(1944)70歳歿
伊那市高遠に紙商兼小間物屋の次男として生れる。本名は國三郎。
祖父池上休柳は、高遠藩・御用絵師に狩野派を学び、慶応2年には自らの画論『松柳問答』を刊行。
父池上秀華も、岡本豊彦から四条派を学び、祖父と同様、俳句や短歌を詠み、茶道や華道に凝る。
秀畝が口述筆記させた自伝では、生まれた時からこのような環境だったので、絵の描き方を自然に覚えたと語っている。
明治21年頃には、自ら「國山」の号を用いる。明治22年、15歳で小学校を卒業後、父と共に上京。
瀧和亭、川辺御楯を訪ねるが父は気に入らず、当時無名だった荒木寛畝の最初の門人・内弟子となり文人画を学ぶ。
一時は洋画も研究する。明治39年、同じ門下生の大岡豊子(緑畝)と結婚。
明治40年正派同志会第1回展で二等銀牌、翌年の文展で初入選。
3年連続で文展特選。大正8年、帝展で無鑑査。昭和8年、帝展審査員。伝神洞画塾を主宰し後進の指導に尽力。
晩年になっても力作を次々と発表。
昭和25年、伊那公園に、池上家三代の絵師を顕彰する『画人三代碑』が建てられた。


池上秀畝 『郭子儀』 尺五寸 絹本 共箱

明治39年(1906年)32歳作  
絵寸法 42.1cm×111.2cm 軸寸法 56.5cm×218.5cm

    




            



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  江崎孝坪 『晴日』 二尺二寸横物 紙本 共箱

     絵寸法 65.3cm×53.7cm  軸寸法 81.2cm×158.0cm

明治37年(1904)~昭和38年(1963) 71歳歿
上伊那郡高遠町(現・伊那市)出身。本名は孝平。歴史人物画を得意とした。
呉服商で図案を描いて生計を立て、日本画家の蔦谷龍岬に大和絵を学んだ。
昭和2年、第8回帝展で「晩秋」が初入選。
昭和8年に龍岬が死去後、前田青邨に師事。
昭和15年に大礼記念京都美術館で開催された日本画大展覧会では、「雲と防人」が大毎・東日賞を受賞。
昭和16年の第4回新文展では「撃て」が特選。
昭和22年の第3回日展では「像造」が特選。
戦後には大仏次郎著『乞食大将』、吉川英治著『太閤記』、井上靖著『風と雲と砦』『真田軍記』『風林火山』に挿絵を描いたり、
黒澤明監督の映画『七人の侍』で衣装考証を担当したり、歌舞伎「新忠臣蔵」で舞台装置を製作するなど、芸術界で幅広く活躍した。
『七人の侍』では第29回アカデミー賞で衣裳デザイン賞にノミネートされている。
高遠にある菩提寺の建福寺へ、昭和25年に第6回日展に出品した『薬師』を寄贈。


      


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