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尾身周三 『山里静春』 6号 油彩
絵寸法 41.0cm×31.9cm 額寸法 60.3cm×51.1cm
昭和18年(1943)新潟県に生まれ、昭和35年新宿造形美術卒業。
日本の古民家を中心に描いている油彩画家。
民家を写実的に描き続けて「民家の尾身」と言われている。
民家を描き続ける理由として古き良き日本の懐かしい風景へのあこがれがあった。
田舎の風景は、土地開発なので無くなってしまう風景。
しかしそれを「仕方ないこと」と割り切りながらも絵画として残している。
NHKなどのテレビで特集され、無所属でありながら5回の受章歴がある。

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武居大明 『後立山』 8号 岩彩
絵寸法 40.9cm×31.8cm 額寸法 56.5cm×47.5cm
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平澤喜之助
大正8年(1919)~平成6年(1994) 75歳没
上伊那郡宮田村に生まれ、伊那谷の美しい自然のなかで少年時代から夢中になって絵を描いて育ちました。
帝国美術学校洋画科に学び、兵役を経て再び絵画の道を志し、一水会展、双台社展に入選するとともに、
代々木絵画研究所の講師も勤めました。
その後、中川紀元に師事し、小泉清のフォーヴとの出会い、朝井閑右衛門の知遇を得て、作品は内面の
追求へと変化、昭和37年(1962)大調和会復活第1回展に、武者小路実篤らと参 加、以後、大調和会展や
「新しき村」美術展へ出品しました。
平沢の作品は、重厚なマチエールと濃密な色彩に彩られ、不思議な沈みと深い輝きをたたえています。
人間の苦悩と哀愁をたたえた人物画も見る人を引きつけます。
『 裸 婦 』 4号 油彩
1979年(60歳作)
絵寸法 24.3cm×33.3cm 額寸法 42.0cm×51.0cm
『紫陽花』 4号 油彩
1973年(54歳作)
絵寸法 24.3cm×33.3cm 額寸法 42.1cm×51.0cm

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山田白龍 『双鯉』 10号 岩彩
絵寸法 50.0cm×41.7cm 額寸法 62.5cm×55.0cm
明治37年(1904)~昭和57年(1982) 78歳歿
諏訪市出身。本名は久重。別号に頼渓。田中頼璋に師事。
その後、平福百穂・益田玉城に師事。昭和16年太平洋戦争で南方各地を転戦、スマトラで終戦。
暇さえ有れば、植物の一茎、一葉、蝶などにも心をとめてスケッチ。
昭和21年復員。
翌年、山田頼渓・林宗蘊・長崎通喜・武居大明・平澤有外・藤森青雲らと同人会『白龍会』を結成。
昭和34年、迎賓館の踊場の壁画(昇龍・孔雀)・各室の床の間の軸の揮毫の依頼が有り、
完成した昭和36年、高松宮・同妃両殿下にご高覧の栄に浴す。

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上野 泰郎 『いつものとき』 12号 岩彩
絵寸法 60.8cm×50.5cm 額寸法 80.7cm×70.3cm
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尾身周三 『山里静春』 6号 油彩
絵寸法 41.0cm×31.9cm 額寸法 60.3cm×51.1cm
昭和18年(1943)新潟県に生まれ、昭和35年新宿造形美術卒業。
日本の古民家を中心に描いている油彩画家。
民家を写実的に描き続けて「民家の尾身」と言われている。
民家を描き続ける理由として古き良き日本の懐かしい風景へのあこがれがあった。
田舎の風景は、土地開発なので無くなってしまう風景。
しかしそれを「仕方ないこと」と割り切りながらも絵画として残している。
NHKなどのテレビで特集され、無所属でありながら5回の受章歴がある。
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武居大明 『後立山』 8号 岩彩
絵寸法 40.9cm×31.8cm 額寸法 56.5cm×47.5cm
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平澤喜之助
大正8年(1919)~平成6年(1994) 75歳没
上伊那郡宮田村に生まれ、伊那谷の美しい自然のなかで少年時代から夢中になって絵を描いて育ちました。
帝国美術学校洋画科に学び、兵役を経て再び絵画の道を志し、一水会展、双台社展に入選するとともに、
代々木絵画研究所の講師も勤めました。
その後、中川紀元に師事し、小泉清のフォーヴとの出会い、朝井閑右衛門の知遇を得て、作品は内面の
追求へと変化、昭和37年(1962)大調和会復活第1回展に、武者小路実篤らと参 加、以後、大調和会展や
「新しき村」美術展へ出品しました。
平沢の作品は、重厚なマチエールと濃密な色彩に彩られ、不思議な沈みと深い輝きをたたえています。
人間の苦悩と哀愁をたたえた人物画も見る人を引きつけます。
『 裸 婦 』 4号 油彩
1979年(60歳作)
絵寸法 24.3cm×33.3cm 額寸法 42.0cm×51.0cm
『紫陽花』 4号 油彩
1973年(54歳作)
絵寸法 24.3cm×33.3cm 額寸法 42.1cm×51.0cm
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山田白龍 『双鯉』 10号 岩彩
絵寸法 50.0cm×41.7cm 額寸法 62.5cm×55.0cm
明治37年(1904)~昭和57年(1982) 78歳歿
諏訪市出身。本名は久重。別号に頼渓。田中頼璋に師事。
その後、平福百穂・益田玉城に師事。昭和16年太平洋戦争で南方各地を転戦、スマトラで終戦。
暇さえ有れば、植物の一茎、一葉、蝶などにも心をとめてスケッチ。
昭和21年復員。
翌年、山田頼渓・林宗蘊・長崎通喜・武居大明・平澤有外・藤森青雲らと同人会『白龍会』を結成。
昭和34年、迎賓館の踊場の壁画(昇龍・孔雀)・各室の床の間の軸の揮毫の依頼が有り、
完成した昭和36年、高松宮・同妃両殿下にご高覧の栄に浴す。
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上野 泰郎 『いつものとき』 12号 岩彩
絵寸法 60.8cm×50.5cm 額寸法 80.7cm×70.3cm
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